森山良太「佐藤かおり」短歌に口語体と文語体が共鳴する魅力

まずは一言たのしいです

「安寧」の意味など今日は訊いてくる佐藤かおりに何がありしか(森山良太)

KADOKAWA
『現代短歌アンソロジー』
平成二十七年下巻(人)より

「佐藤かおり」にはふだんからこのような唐突な問いがよくあるのか。
にしても、こたびは「安寧」だ。

何があった、と。

「佐藤かおり」とはこれよ、この一首は、そのような人間への眼差しがよく伝わる調べがある。

安寧

森山良太「佐藤かおり」短歌に口語体と文語体が共鳴する魅力

相対性理論って何よ

憲法って結局何なのよ

こんな問いは短歌をおもしろくしない。

あ、いや、おもしろくできる人はおもしろくできるのかも知れないが、それでおもしろくなった短歌を、今のところ読んだことがない。

またわたしにそんな短歌はできない。

やっぱり安寧だよなあ

佐藤かおりは、どんな文脈の中で「安寧」の二字を読んだ。あるいは、聞いた。
「安寧」の二字が、佐藤かおりの目に、ただ入っただけのか。

佐藤かおり

森山良太「佐藤かおり」短歌に口語体と文語体が共鳴する魅力

短歌に人名を具体的に出すことは、珍しくない。
それだけ短歌をおもしろくするのに役立つからか、と。

その例をここでは並べないが、この一首の「佐藤かおり」は、名が佐藤かおりであることで絶妙な存在感がある。

「安寧」の意味など今日は訊いてくる佐藤かおりに何がありしか(森山良太)

佐藤かおりが「小池かおり」ではダメ?

岸田や大谷ならどう?

いつもいっしょにいる人はもう気にならなくなっていようが、「安寧」の意味を、小池なる女性が求めたとしよう。
あ、都知事の小池さんといっしょですね、となって、要らざる過程が生まれてしまう。

湾岸署の青島刑事のようにはいかないのだ

口語と文語の混交体?

森山良太「佐藤かおり」短歌に口語体と文語体が共鳴する魅力

これは文語体か

この結句もまた絶妙だ。

だがこれで、この短歌を、口語と文語の混交体と言えるだろうか。

えも言われぬ味だ

それはなきにしもあらずですね

日常会話にこんな声がたまにあるが、文語体か、これ。
あ、いや、あきらかに文語体なのであるが、フツーに現代の日本語じゃないのか。

ふしぎな味だなあ

たまにはあるよ

これだと逆におもいを伝え切れなくしていないか。

一部を文語体にすることで味わいが深まることがあるのである。

日本語はたのしいですね

月光仮面を例に

わたくし式守に、月光仮面は、今でもヒーローである。

月光仮面は、女性を苦境から救い出すと、小箱をそっと残して消えた。
女性が小箱を開けると、蓋の内側の鏡に(鏡になっている)こう書いてあった。

危険迫らばこの箱開けよ  月光仮面

これがまた筆書きなのよ。
ペンキ?

では、月光仮面がこれを、マジックでこう書いたらどうか。

危ない目にあったらこの箱あけてちょうだいネ  フロム月光仮面

ぜって~ね~よ。

今日は

森山良太「佐藤かおり」短歌に口語体と文語体が共鳴する魅力

また読み返す。
これで最後だ。

「安寧」の意味など今日は訊いてくる佐藤かおりに何がありしか(森山良太)

わたくし式守がこの短歌に最も才気を覚えて、作者の森山良太氏に憧れの花が咲くのは、この「今日は」の措辞である。

たとえば、これはたぶんに恣意的であるが、「急に」だったらどうか。
音は似ていようが……、

(検証)

「安寧」の意味など急に訊いてくる佐藤かおりに何がありしか

これだっておもしろく読めたとは思う。
思うが、しかし、ここは「今日は」だろう。

なぜ「安寧」を今日になって、と

いつもおかしな子であるが的な

佐藤かおりの一瞬の行動を不審に思いつつも、<わたし>は、短歌に、佐藤かおりの独特の感性をおさめた。

森山良太の手による短歌によって、佐藤かおりが、人によく伝わった。

それと同時に、
佐藤かおりを眺める<わたし>の胸の多感なさまもまた。

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