森藍火「重病説流れゐるらし」<わたし>という噂の主と現実

喜んでいいのか悲しんでいいのか

重病説流れゐるらしスーパーのバナナの前に声かけられる(森藍火)

本阿弥書店『歌壇』
2016.9月号
「信号無視」より

森藍火「重病説流れゐるらし」<わたし>という噂の主と現実

あっけにとられるとはこのことか。
心配してもらっていたことに、喜んでいいのか、それとも悲しんでいいのか。

重病説って、ねえ、何てごあいさつしたらいいの。

バナナの前であることが、これまた皮肉である。

健康志向に、バナナなんて、ぴったりの相性ではないか。

そのバナナの前で、<わたし>は、ご自分の重病説を知った。

バナナの前でそれを知ったか

人の噂は

世間の噂というのは無責任なものだ。

「声かけ」た人は、<わたし>を、心配してはいた。だからこそ、<わたし>を見かけるや、お、となって、声をかけたのだろう。
それ自体はいい。

しかし、「声かけ」た人に、<わたし>が重病であることをおしえた人もまた、他にいるわけだ。

ったく誰だよ、そいつ

その人もまた誰かから聞いたのだろう。でなければ、その人の作り話ということになる。
遡れば、いくらでも遡れそうだ。

噂は噂を生む。そして、噂とは、とかく早いものなのである。

スーパーにいること

<わたし>がスーパーにいることに、「声かけ」た人は、きっと驚いたに違いない。

重病って聞いていればなあ

重病ともなれば、スーパーにいるわけがない。
病院にいて然るべきなのを、<わたし>は、スーパーでお買い物をしているではないか、と。

それもバナナの前に

読み返してみる。

重病説流れゐるらしスーパーのバナナの前に声かけられる(森藍火)

森藍火「重病説流れゐるらし」<わたし>という噂の主と現実

いちばん驚いたのは<わたし>ご本人でしょうね

噂の主との交点

この連作「信号無視」に、次の二首がある。

遠景の高層ビルの窓の灯をアスタリスクと乱視は捉ふ(森藍火)

午前二時降りしきる雨さしあたりこの夜を眠る力が欲しい(同)

これくらいの変調なら、「声かけ」た人にも、噂の連鎖に属していよう、他の人たちにも、ない症状ではない。

となると、重病が噂に過ぎなかった以上は、こっちの方が、灰色の哀感を覚えてしまう。
噂という愚かしい世相は、問題は問題であるが、こっちは、現実に身に起きていることである。

そして

スーパーの、それもバナナの前に、おふたりは出くわした。
おふたりに、健康指数は、さして差がないに違いない。

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