
目 次
のこされた人生を短歌にとどめる
たまたまに來たりし吾子が埽除して敷きかへし床に晝寢をするも(三ケ島葭子)
創元社『三ヶ島葭子歌集』
(大正十四年/をりをりの歌・その五)より
どうしてこう一言で説明のつかない感情と表情が時を超えてわたしをつらぬくのか。
母はせっかく「吾子」と会えたのに、じっくりふたりの時間を過ごせない。
時間がもったいない、
とは母は言わない。
寝かせておく。
「たまたまに」とは、いっしょに暮せない事情があるからであるが、 三ヶ島葭子は、薄幸の女性であったことで、たとえば「吾子」と会うのは「たまたまに」なってしまう。
それを、短歌に、このようにとどめた。
「たまたまに」に包蔵されたおもい

たまたまに來たりし吾子が埽除して敷きかへし床に晝寢をするも(三ケ島嘉子)
「吾子」の体温は、無言で、三ケ島葭子の愛情に保たれる。
わたくし式守は、ここに、三ケ島葭子の、白い歯を見せるかんばせも目に浮かぶ。
でも、なぜなのか、「敷きかへし床」の風のあいだに、悲調を帯びた音が耳にそよぐ。
「たまたまに」に包蔵されたおもいの、なんと切ない。
しかし、三ケ島葭子は、「吾子」を、寝かせたままにしておくのである。
歌人に吹く風
(をりをりの歌・その五)は、次の一首もある。
をりをりは雨戶あくるが重たさに薄暗き室にひとりいねをり(三ケ島嘉子)
<「暗」は旧字体です>
「敷きかへし床」は、このような「室」の「床」だった。
このような「室」にもすべりこむ風があったとすれば、その風の価値よ。
深入りしないが、三ヶ島葭子は、薄幸の女性だった。
が、短歌は、歌に直截に描いていない風を、その歌人のデータ不足など容易に補って読者に届ける。
そして坂をのぼる
この坂を今年はじめてのぼりをりたりそれほど疲れず明日ものぼらむ(三ケ島嘉子)
(同・その五)より
たかだか坂をのぼることに難儀する人が、この世は、少なくないのである。
今年はじめてだよ、はじめて
しかし
疲れなかった、と。
明日ものぼる、と。
がんばれ
のぼれ
生きよ
こうなるともう<わたし>なる三ケ島嘉子と読者たる式守操は盟友だ

つまり自分に泣いている
たまたまに來たりし吾子が埽除して敷きかへし床に晝寢をするも(三ケ島嘉子)
自分のほとりにそっとある母、あるいは子。
この追憶の花は、後の世にあっても、永遠に咲いたままである。
すこしでも
子もまた母の
そばにいようと
人は時に親であり、また常、人の子でもある。
血のつながる兄弟のある人もあろう。
読み返す。
たまたまに來たりし吾子が埽除して敷きかへし床に晝寢をするも(三ケ島嘉子)
三ケ島嘉子が薄幸であるとかないとか、この歌の背景が明治だとかいつだとか、そんなことは、わたくし式守にもうどうでもよい。
<わたし>の、このおもい一つは、涙なきを得ない。
短歌を味読するとは畢竟、自分に泣くことなのか。
歌にする意欲の単純に尊いこと
たまたまに來たりし吾子が埽除して敷きかへし床に晝寢をするも(三ケ島嘉子)
のこされた人生を短歌にとどめようとする切ない意欲。
そこでの尊さ。
一読する限りでは、たかだか娘の「晝寢をする」姿を描くにとどまっているかも知れない。
されど尊い。
それが尊い。
たかだか「晝寢をする」娘との時間である。
しかし、のこされた人生に、それは、かくも濃密である。