
目 次
瀕死
ようやくに形を保つ桃として桃があるまま崩れ初(そ)めたり(松平盟子)
河出書房新社
『たまゆら草紙』
(儚疲れ)より

こういう瞬間を捉えた短歌を、わたしは、偏愛してしまうところがある。
こういうとは何。
瀕死であること。
もっとも桃そのものは、自身に、死を思ってもいまい。
アタリマエだ。
しかし
この瀕死の桃から目が離せない。
なぜ?
その先は死だとしても
桃は桃であって、自身に、死を思うべくもなかろう。
アタリマエだ。
しかし、桃には桃の、生命というものがある。生命があれば、「崩れ初めた」る姿は、もう死の一歩手前。
その死を、桃は、うろたえないで耐えて待っている。
されど
待っているのは死。
死のみ
崩れかけの美しさ
「ようやくに形を保」っているんだそうな。
「ようやくに」
わたくし式守は、この「ようやくに」が、まことに胸を搏つ。
しかし
うろたえていない。
目を離せないわけはここにあったか
死
そして
苦
されど
生
桃よ
ようやくに形を保つ桃として桃があるまま崩れ初めたり(松平盟子)

「崩れ初め」たるが、やがて崩れ去るのを、桃に、もう少し先であってくれ。
これまでのツケもあってか、わたしに、日々の屋外作業が、このごろ苛酷になってきた。
無理はしない。しないが、放棄はできない。
「崩れ初め」たる、その「初め」の段階を、桃よ、内にまことは悲涙あってももう少し踏みとどまってくれないか。