
目 次
短歌はその上空に怪しい雲があるようで
さみだれはうすらに寒しひと日われ煙となりてうずくまり居り(松平盟子)
河出書房新社
『たまゆら草紙』
(夕白桔梗)より
「煙となりてうずくま」るそうな。
わかる。よくわかる。
ご自分を「煙と」も感じてしまう、そのようなことが、この人生にあることが。
時々、短歌の上空に、怪しい雲の存在を覚えることがある。
で、<わたし>はどうなる、と。
短歌に限ったことではなく、文学は、そこにある人間に関心を持って、その人を追うことではないか
理性などかんたんに破られる
ある種の人に 常、滔々と押し寄せてくる何かがある。
それはたとえば消えない過去。悲痛。
泣くまいと誓う。
だが、理性なんてそんなものは、「さみだれ」ひとつでかんたんに破られてしまうのである。
「煙となりてうずくま」る姿は、はふり落つ涙を誘う。
その哀愁が天地にそっとつつまれている詩的イメージは、「さみだれ」があって完成に導かれた。
「さみだれ」が、<わたし>に膜を張っている。「うすらに寒」いがゆえもあろう。
豪雨は存外、身をもむものではない。

<わたし>はどこにいる
唐突に
短歌のおけいこをはじめます
<草稿>信号の赤に従う当然になお燃え盛る太陽の下
わからない。自分で作っておいて。
冷房の効いた車より屋外の人に青信号の時間をまわしてはどうか。
それが歌作動機だったのであるが。
だったとして、この<草稿>のどこにわたしはいる。
信号が青になるのを待っているようではあるが、でも、だからって何。
<わたし>はどうなる
おけいこは続いています
「なお燃え盛る太陽」のカットがうるさい。
いや、背景を、これでもか、とスライドさせるような短歌があったっていい。
おもしろければ、それを、わたしは、何度だって読み返すに違いない。
だが、わたしのこれは、やっぱりダメなのである。
何と言っていいのか、その、この人(わたくし式守のことであるが)はどうなったの? どうなるの? ふだんどうなの?
お手本を見直す。
さみだれはうすらに寒しひと日われ煙となりてうずくまり居り
ほれ、
お手本には、どうなったも、どうなるも、ふだんどうなのもある。
だったら<草稿>の結句を、「ついに倒れる」とでもした方がまだいい。
要は<わたし>は何者かである
舞台背景は、何だっていいのである。
吹雪だって、砂塵だって、美しい海底だっていい。
でも、そこでこの人はどうなの。
わたしは、その「どう」を、短歌においてたいせつに読みたいのである。
お手本の……、
苦しみに耐えていた/どんな苦しみか知らないが、自分を保っていた
今日も今日とて耐えていた/しかし「さみだれ」についに……
さみだれはうすらに寒しひと日われ煙となりてうずくまり居り
いい歌である。
かつ短歌であるとかないとかを超えて文学だと