
目 次
いつの時代でも
ゆふぐれの雲くれなゐに染むを見よ未来は一つふた分れせず(前川佐美雄)
短歌新聞社『捜神』
(野極(きさらぎの空))より
昭和二十六年の作品。
この国が「戦後」と呼ばれる時代にあった短歌である。
この短歌が、戦後における、未来への希望を詠んでいる、
などと解釈することも可能であろうが、そのような、時代相を背景にこの短歌を読むことを、ここでは避けたい、との考えが、わたくし式守にある。
この国に、民主主義を成熟させることと生産財を向上させることを課題とした歴史区分があったことは確かであるが、この短歌が生まれた時代の背景が現代の一首だったとしても、この胸にしみじみと沁みるものがある、と思えるのである。
現代に生まれた短歌である、として、だったらこの一首は牧歌的なものになってしまうか。
この国に、あるいは、この人生に待っている「未来」は、戦後と呼ばれた時代の希望しかないのか、との。
いつの時代でも、このような短歌は、人々の胸に、希望が生まれる歌だと思う。
希望
典型的なのに「見よ」
ゆふぐれの雲くれなゐに染むを見よ未来は一つふた分れせず(前川佐美雄)
結句の「ふた分れせず」に、触発されることが、いくらかある。
「未来は一つ」の「一つ」をこう表現したのであるが、
典型的?
つまり、チープ?
そんな負の印象は、すぐに拭える。
見よ、って言ってるからである。
見よ
一つであって、ふた分かれしないのさ
典型的もチープもないのさ
夢中に聞き流せる声ではない。
事実、上空に、見上げる価値のある機運を悟れる。
典型的なのに「染む」
ゆふぐれの雲くれなゐに染むを見よ未来は一つふた分れせず(前川佐美雄)
要約すれば、であるが、「雲」を「見よ」と詠まれているわけだ。
雲?
くれなゐに染まっているよ
ゆふぐれの雲なんだよ
ああ、くれなゐ
この「染む」が、何か目に見えない存在の力によってに思える。
解剖してみる
雲がある
どんな雲か
ゆふぐれ
くれなゐに染まっている
未来は一つ
どのように一つか
ふた分れしない
で、それを見よ、と
雲と未来は調和した
効果的な調和
こんな真似を自分もできるかどうかはまた別の話として、たとえばこの一首の、雲と未来を調和させるにおいて、いかにも美しく魅せる修辞など要らない。
短歌という音響の中で、その修辞が、それぞれ解離していなければ、各々の修辞は、効果的に調和するらしい。
読み直す。
これで最後だ。
ゆふぐれの雲くれなゐに染むを見よ未来は一つふた分れせず(前川佐美雄)
どうよ、これ。
「見よ」と。
されば見よう。
わたくし式守は、ここにある美しい(まことに美しい)雲を見て、愛する人とともにこれからもあることを思えた。
安寧がある
短歌一首で、安寧の時の中に、しずかに包まれた。
この安寧は、この人生に、ただ一つであるし、そして、分かれることはあるまい。
それを保証してくれるだけの紅が、空に、たしかに染まっているではないか。
夕ぐれのやさしさよ
