
目 次
文鎮
雨音のつつむ冷たき文鎮の銀の肌(はだへ)にふと手触れたり(桑原正紀)
KADOKAWA『短歌』
2014.10月号
「化身」より

むしろ、これは、「冷たき文鎮」に吸い寄せられた、ということでは。
と、読めた。
そう読んでみると、「文鎮」よりも、「手触れたり」の「手」の主に、読者のわたしは、同化したのであるが。
「雨音」はある。
しかし、ここは、静寂の内にあるのではないか。「冷たき文鎮」に手を触れたくもなろうか。
それはもちろん、まだ幼い子が、よせ、と言っているのに、なんでもさわりたがるのとは違う。
が、ここ静寂の内に、人は、まことに冷たかろう文鎮にさわってみたくもなるのではないか。
これは、連作「化身」の3首目であるが
あぢさゐ
あぢさゐの花うつ荒き雨音の終夜ひびくをまた覚めて聴く(桑原正紀)
「同」より
連作「化身」の、これが、先頭の一首である

「雨音」の「雨」とは、このような雨だった。
長い雨の夜だった。
「あぢさゐの花」は、もはや<わたし>に内に存在しているかにも思えてくる。
眠っている間も、雨に打たれていた「あぢさゐの花」は、内にあるあじさいもまた雨に打たれていたのである。
と、読めた。
そう読んでみると、外のあじさいよりも、「また覚めて聴く」その耳の主に、読者のわたしは、同化したのであるが。
鬱悒
をりをりに梅雨の荒れつつ七月も半ばを過ぎぬ長き鬱悒(うついふ)(桑原正紀)
「同」より
これは、先の1首目と3首目にはさまれた一首である

四句目まで梅雨の日々が、詠まれている。詠まれた文体は、寸時の弛緩もない強靭な文体である。
四句目でいったん切られた。
いったん切られたことで、長い梅雨の雨は、結句に厳粛に手渡された。
「鬱悒」と。
「文鎮」再読
読み返す。
雨音のつつむ冷たき文鎮の銀の肌(はだへ)にふと手触れたり(桑原正紀)
そして、読者のわたしは、この稿で、先頭より改めて1首目と2首目を読み直している。
あぢさゐの花うつ荒き雨音の終夜ひびくをまた覚めて聞く(桑原正紀)
をりをりに梅雨の荒れつつ七月も半ばを過ぎぬ長き鬱悒(うついふ)(同)
「銀の肌(はだへ)」に「手触れたり」は、人の自然な理(ことわり)だった。
と言えないか。
この一首は、人のまことの理(ことわり)を剔出して、人に不可避な鬱悒を説く。
<わたし>がこれから墨にて文字にする言葉は何か。
その書体は何か。
それは、4首目以降を繰り返し読んで推理してみてはどうか。
病ある妻と生きる生活相に、ハイビスカスが、妖として生きている。
が、この稿では、そこまで踏み込まない。
ハイビスカス

連作「化身」の4首目から最後の10首目までの、次の3首を、次の順で、わたしはいくたりと読み返しては、病ある女性の夫である自分を、都度、慰めている。
断きぎれの時間を生きる妻の窓を雲ゆき鳥ゆき新幹線がゆく(桑原正紀)
自(し)がためにハイビスカスを買ひてきてたつたひとりの改装祝ひ(同)
あきらかに女人(によにん)の化身とおもふまでハイビスカスのたたずまひ妖(えう)(同)