くりはらさとみ「フェイクの羽」青春時代の恋愛に鋭い視線が

読む目安: 約3分

恋愛の甘美の裏で/幾重にも層をなす心情

友だちの彼氏の翼にくるまれてフェイクの羽に目をつむってた(くりはらさとみ)

『群像』2025年2月号
「群像短歌部」テーマ(間違えたこと)
木下龍也・選

「友だちの彼氏」と詠まれている。
現在まだ若い女性がこう詠んだのか。過去の若かりし頃の思い出を詠んだものなのか。

<わたし>は、「友だちの彼氏の翼にくるまれ」た。が、それは「フェイク」だと詠まれた。
恋愛の甘美がある。が、その裏で、虚無感や罪悪感も同居していた。

一首内に言葉一つで心情が層をなしている歌を筆者は好むところがある。
そのような歌として、筆者において、この一首は白眉だ。

「翼にくるまれて」=無条件の幸福ではなく

「翼にくるまれ」たことで、そこでの<わたし>は、さしあたり傷ついた心が浄化されてはいようか。
しかし、その「翼」は「フェイク」だと。平和の象徴の「羽」のモチーフに、「羽」らしい救済もあるが、ここに、虚偽も持ち込まれた。
<わたし>には、それだけの内省の力や節度がある。

「翼にくるまれて」との表現に、一時的にせよ手厚い保護がうかがえる。が、いかんせんその翼は、「友だちの彼氏」のものなのである。
いくら若い女性でもこれはアウトか。

非日常の輝きの中にあって、しかし、無条件の幸福ではない自覚があること。
そこはシェルターではあるかも知れない。が、いていい場所ではなかった。

「フェイク」が貫くもの

「翼にくるまれ」ていることはあくまで受動的である。が、「目をつむって」いたのは、あくまで<わたし>が決めてそうしたことなのである。
そうではないか。
<わたし>は偽りに身を委ねて救いを得た。

その怜悧な頭脳は、自分が孤独である現実を改めて知った。かどうかまで知らないが、「友だちの彼氏」との一瞬の甘美は、「フェイク」に貫かれたのである。

「目をつむってた」=過去形のすばらしさ

やさしい羽にくるまれた<わたし>は、しかし、「目をつむって」いた。
結句の「目をつむってた」、この過去形は、容易にまねができない手当てだ。
ただの過去形ではない。
もう終わった話。むかし、神さまのいたずらがあった。更年期などはるか未来の時代の話。

「友だちの彼氏」

「友だちの彼氏」も残酷なことを、と責めはしない。
「友だちの彼氏」の誘惑に負けた歌でもあるまい。

「友だちの/彼氏の翼に/くるまれて」とリズムがまったく崩れていない。厳密には、2句目が字余りであるが、この「に」は、破調として検証されるほどの字余りではないだろう。音も弱く短い。

美しくはあるが穏やかならぬ孤独の心情は、この端正なリズムに隠された。
すなわちこの一首の調べ自体が、「フェイク」の指数の針を振り切るのである。

友だちの彼氏の翼にくるまれてフェイクの羽に目をつむってた

くりはらさとみ「フェイクの羽」青春時代の恋愛に鋭い視線が

「友だちの彼氏の翼」のあたたかさを、<わたし>は、拒絶することができなかった。
どうしてもできなかった。
青春時代の、ほんとうは甘くはない恋愛は、時を経て、短歌の傑作として結実した。

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