くりはらさとみ「とつぜん」すぐそばの意表を突くリアリティ

パソコンという既婚者

くりはらさとみ「とつぜん」すぐそばの意表を突くリアリティ

「とつぜん」を変換したらパソコンは「結婚した」と既婚になった(くりはらさとみ)

読売歌壇25.03.31
俵万智・選より

変換するとおかしな単語が出ることがある。

「既婚」の単語に「とつぜん」の読みを登録すれば。こんな変換はいくらでも可能である。
からくりはその程度のことだったとしても、それはそれでおもしろい一首であるが。

また、それまでの操作履歴で、「とつぜん」で「既婚」を変換する学習をした、なんてこともあろうか。
そんな経過をおもってみるのもおもしろい一首かも知れない。

誤変換の歌は少なくなくある。
しかし、この一首は、わたくし式守という読者に、換骨奪胎の印象を与えなかった。

ではなぜ誤変換の歌というだけに着地しなかった

AIと暮らす人あり

よく聞く話で解説は不要であろうが、独身の人が、その属性はどんなであっても、AIを話し相手に暮らすことがあるとか。それで足りているらしい。そこでは、孤独をかなしむ色彩は生まれない。結婚など望まなくもなるとか。

そのような時代相まで持ち出すと、この一首のせっかくのたのしさを損なうようで気がさすが、でも、この一首は、まこと「とつぜん」に、パソコンが、結婚したと<わたし>に告げたかの印象を持つのである。

存外、拙速でも飛躍でもないのではないか。

「とつぜん」を変換したらパソコンは「結婚した」と既婚になった(くりはらさとみ)

穴居生活を営んでいた時代は、男女が出会うという文化はまだなかった。電気がなければ、性生活も、相手が誰かもわからない時代があったのである。

それを思えば、後世は、パソコンが結婚することをイメージできなかった現代人を嗤う世になるかも知れない。

綿棒にも声はある

くりはらさとみ「とつぜん」すぐそばの意表を突くリアリティ

それだけでもう捨てるのかと綿棒は叫んでゴミ箱の中に消えた(くりはらさとみ)

『ダ・ヴィンチ』25.02月号
「短歌ください」より

「叫んで」がいい。
「消え」てしまったのも抜群にいい。

この一首を、わたくし式守という読者には、であるが、メルヘン的、もしくはファンタジー的なテイストとは読めなかった。
すなわち現実にある話。

綿棒は、人語を発しない。発しないが、しかし、たしかにそれを「叫んで」いたのだ。と。
と、読めたのである、わたしという読者には。

要するに、綿棒という非人類は、人類に、異議を申し立てた。
言ってみれば、これは、エコをテーマにした言論であるかも知れない。しかし、作者が、短歌というツールで言論を説いた、としては、やっぱり話は違うだろう。

綿棒の声を人語に翻訳して、人間たちに、何かを問いかけた。
それはエコについてかも知れないし、ただただ倹約のことかも知れないし、あるいはまた、合理化というものへ警鐘を鳴らしたのかも知れない。
しかし、テーマが何であっても、馬耳東風とはいかない説得力をおもえたのはなぜ。

よし、では、この一首に、ほんとうに“言論”の成分があった、としようか。
されど、既に答えを知っている答案を読まされた圧が、この一首にはまったくない。

やはり詩なのだ。

先の既婚者になったパソコンもそうであるが、この作者は、人に、そういうたのしみを扶植する資質がおありなのではないか。

デスラー総統にもなれる

くりはらさとみ「とつぜん」すぐそばの意表を突くリアリティ

昨晩はこむら返りがひどくてね会いたかったよヤマトの諸君(くりはらさとみ)

『ダ・ヴィンチ』25.04月号
「短歌ください」より

こむら返りに難儀して、翌日、「会いたかったよヤマトの諸君」と挨拶するような人はそういない。
お互いにアニメが好きだったヤマト世代が、久しぶりに再会した場面であれば、なくもない話であろうが、にしても、普遍的なありようではなかろう。

それがなぜこう共感できる。

ああ、会えたんだな、と。
そう思えることに与ったのは、「会いたかったよ」ではないのである。
と、考えてみるのはどうか。

まず会えなかったかも。
現に、ほれ、<わたし>は、「こむら返りがひどくてね」と言っているではないか。

が、これだけではまだ足りない。
「ヤマトの諸君」までつなげたことでついに、読者も、真に自分のこととして「会いたかったよ」となったのではないか。

と同時に、次の如きリアリティも獲得していないか。
こむら返りが辛かった夜の時間と静寂は「無限に広がる大宇宙」だった、と。

「ひどくてね」と言われたからひどかったのだろう、となったのではないのである。
「ヤマトの諸君」の結句にそれは与かっているのではないか。
と、読めたのである。

先の二首もそうであるが、くりはらさとみさんの歌は、この式守に裨益したこと少なくなかった。

くりはらさんにおかれましてはまことにありがとうございました。
が、そのことよりもまず、たのしく歌を読む時間をいただけたことに、心よりお礼を申し上げます。

また、先日は、拙著『色えんぴつを』の、インスタへのポスト、ありがとうございました。恐縮いたしております。
くりはらさんのますますのご活躍をお祈りいたします。
どうぞ佳きお歌を。

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