
目 次
お願いをきく
一生のお願ひといふが口癖の子の他愛なきお願ひを聴く(今野寿美)
河出書房新社
『若夏記』
(秋桜)より
あ、きいたんだ、となるのである。「一生のお願ひ」を。
「聴く」と「聞く」と「きく」を、作者・今野寿美は、潔癖に使い分けたと思われる。
「聞く」よりもじっくりと大いなる好奇心を持って耳を傾けてくれたのだろう。
で、その願いはかなえて(きいて)もあげたのか。
ただ……、
この一首は、わたしを、
ひどく混乱させた。
混乱。しかし、
幸福を見つけて。

一生のお願い
うっすらとであるが、「一生のお願い」なる語彙を獲得した頃を、今でも憶えている。
おい、おい
一生だってよ、一生
話し相手に、その願いがどれだけ強大であるか訴えるのに、「一生」なんてものを持ち込むと言葉に力が宿るらしい、と。
この一首は、<わたし>の子の人生に、言葉の始まりが溢れていないか。
「一生のお願ひ」に裏はなかろう。一生と言えば一生なのだ。
「一生」の言葉の力が、いつの日か、減退することが待ってはいよう。されど、「一生」に見た光芒は、子の、その後の人生に燦として残る。

子の口/母の耳
読み返す。
一生のお願ひといふが口癖の子の他愛なきお願ひを聴く(今野寿美)
おい、おい、おい、おい。
何なんだよ、何回読んでも、この「口癖」と「聴く」の口と耳は。
母が子に
子が母に
ここには
疲労の
片鱗もない
母と子がいるところにいる光景がここにある。
自然のままに

短歌の力を改めて知る
わたしは母が病弱だった。十代に母を亡くした。
「一生の」を言ったことがあったか。いつしか何も願わなくなった。
わたしは妻が病弱である。子は夢のまた夢でしかない人生を生きた。
「一生の」は言われない人生を生きた。
されば、わたしは、この人生を呪っているとや。今野寿美を妬んでいるとや。
NO!
失われた時を悼む。それはある。
が、この一首は、わたしの呼吸を、読めば必ずととのえるのである。
それこそ「他愛なき」一首に、母と子の愛は、古今に、彼我に、越えられない逕庭はない絶対性が存在していることを訓えられる。
一生のお願ひといふが口癖の子の他愛なきお願ひを聴く(今野寿美)
あたりの空が澄む
