
目 次
夫婦ふたりの下のお名前

一文字の夫の名前に二文字のわれの並んでバランスのよし(国分良子)
本阿弥書店『歌壇』
2016.5月号
「ホチキス」より
うちもそうなのである。
うちの場合は、一文字の妻の名前に二文字のわれ(本名)が並んでいるのであるが。
ふたりの名がセットで記載されていると、そこに、デザインとして鑑賞できるものになるのである。
この表現に、「バランスのよし」とあるのは、頭にすっと入る。
しかし、「バランスのよし」も、たとえば職場ともなれば、そうそうバランスよくとはならないようで……。
夫婦の片方だけのお名前

「奥さんに悪いんだけど」転勤の内示を夫に告げて上司は(国分良子)
夫婦の日常が、ここに、脅かされることになった。
「転勤の内示」である。「夫」の、であるが。
となると、「奥さん」はどうなさいます?
なんてところか。
そう思うのであれば、辞令を取り下げよ、とは言えまい。
やがて出る辞令は、「夫の名前」だけが記載されよう
留守居の小犬も名があろう

ジャガイモの芽の出る音も聞きながらひねもす留守居の小犬はまどろむ(国分良子)
「ジャガイモの芽の出る音」の「音」と「留守居」の「留守」がさびしく共鳴した。
飼っている「小犬」が詠まれているが、「小犬」がまどろめばまどろむほどに、ご夫婦の働き方、あるいは暮らし方に、微量の詠嘆のあることがうかがえる。
と同時に、「小犬」が「まどろ」んでいよう姿を目に浮かべると、このご夫婦の日々に、奥行きのあることもまたうかがえる。
この仔も自治体に届け出た名があろう
美味しそうな銀行の名

略されて呼ばれる行名飛び交えば美味しそうなりトウミツ、バンチャ(国分良子)
<わたし>は、職場で、ユーモアを忘れないのである。
歌人だからもあろうが、そこに言葉があれば、次々に何かを連想してしまうのだろう。
自宅は「小犬」に任せてあるしなあ
金融機関と連携する職域らしい。
トウミツは東京三菱、今の、三菱UFJか。
バンチャは、おそらくは、バンク・オブ・チャイナ、中国銀行(本店・岡山市)というところか。
「飛び交」う、としてある。
わたくし式守は、約四半世紀近くを企業会計に身を置いていたが、金融機関との連携は、時間と勝負なところがある。
いやというほど経験した。
そう、
「行名」が「飛び交」っていたっけ。
そこを、<わたし>なるは、「トウミツ」と「バンチャ」が「美味しそうなり」と。
短歌として感性のふくらみももちろんたのしいが、働く者としての、この心のゆとりよ。
すばらしい

当該行はこの名で何か売り出してみてはどうか
労働者派遣法の通称3年ルール

労働者派遣法(はけんほう)は改正されて続けたくても続けられなくなる おそらくは(国分良子)
人があえて派遣社員を選ぶのには、それなりの理由があるのである。
派遣で働く理由、第1位は「仕事内容や勤務条件を選びたい」
エン・ジャパン
「2021年「派遣で働く理由」調査」より
2015年に労働者派遣法が改正され、基本的に派遣社員は「同じ事業所で3年を超えて働くことはできない」と定められました。
これは通称「3年ルール」と言われている。
床に落ちたお菓子を「3秒ルール」と言って食べてしまうように。
……?
スミマセン。「3秒ルール」とは違いますね。
正式な名ではない。
そんなに長くいてもらっているのであれば、直接雇用をしてあげなさい、と。
社会保険も賞与も保障しておあげなさいな、と。
と、このように「3年ルール」は、もちろんいいことなのであるが、でも。
たしかに「改正」なのであろうが、しかし、これまで通りでいい人だっているのである。
夫婦二人の暮らしにあって、これは、必ずしもいいと言えないことだってあるのである。
正社員になれるが、なったら夫といられない
正社員の選択を避けることは切られてしまのを待つだけ
派遣法改正が逆に仇となるケースがある
おそらく忸怩たるであろう<わたし>は、不快に映ってしまいかねない眉や唇を処理して、「おそらく」をのみこんだかと。
「おそらく」とあるが、これは文芸上の修辞で、実際たるや、確定である。
事実
わたくし式守は、約四半世紀近くを企業会計に身を置いていた。
いかに派遣社員の権利が保護されるように改正されても、派遣社員に係るコストの方が、企業にとって、損益計算書にインパクトを与えないことを知っている。
直接雇用に切り替えるよりは次の派遣社員を探す。
そう判断すれば、そこを躊躇しないのが、企業というものである。
すなわち
「夫」に「転勤の内示」が出しましたが、あなたもごいっしょにここを去ってもよろしいですよ。代わりは探しますから、と。
日本が切り捨てた通念

淡々とした担当者に愛想よき上司、上司の方が年下(国分良子)
「担当者」が、おそらくは、<わたし>の方か。
第三者の話だとしても、「上司」の方が、ずっと気苦労のあるところがおもしろい。
わたくし式守は、この(年上の)「担当者」も、(年下の)「上司」も経験があるが、この国が切り捨てた「上司」の通念に追いつかないのである。
自分の立場で人を動かすのに何の科がある、とはいかない。
年下の上司は、これは仕事だからで、あなたという人を上から目線で見ているわけではありませんからね、とアクセントをつけてしまうわけだ。
日本の切り捨てていない通念

どうしても最初のひと針無駄になるホチキス 内示は決定事項(国分良子)
この短歌一首に、わたくし式守は、大きなため息をつく。
そう
このホチキスに
「どうしても最初のひと針無駄になる」が、この国が切り捨てていない通念の、まこと些細ではあるが、これは、その一例ではないか、と。
「上司」になりおおせたとあらば、たとえば、「ホチキス」を使うレベルの作業から解放されるのである。
そこに「内示は決定事項」が続く。そこにため息が出ると、まあそういうこと。
この淡い諦念よ
年の功もあろうが、「内示」に下手を打っても、主流派から逆ねじをくらうだけなのである。
雇用区分がいかなるものでも、
職場における、目に見えない圧力への心情を、
国分良子は、
ここに、さりげなく披いた。
「ホチキス」という連作タイトル
改めて読み返す。
どうしても最初のひと針無駄になるホチキス 内示は決定事項(国分良子)
この連作「ホチキス」は、一人ただこれを嘆く行き詰まりではないのである。
一女性の人生選択に収まらない苦が包蔵されている連作だったのである。
テーマがテーマなのを、淡白に、一首一首を並べて、国分良子は、短歌に、一組織の、ひいてはこの国の仕組みの一方の心情を、読む者に迫る。
ご夫婦の下す決定は制約のあるがゆえに、その働く姿は精彩を欠いてもこようが、そのような日々にも、「ホチキス」の「ひと針」一つで、納得できないものを毅然と容認している国分良子の姿に、読者たるわたしは、畏敬の念も惜しみなく刮目する。