国分良子「夏の悔い」短歌で市井の声が浅く聞けない声になる

何が早いってあなたそれは年をとること

どれが一番早いのだろう  特急、快特、快速急行、今年で五十(国分良子)

本阿弥書店『歌壇』
2017.11月号
「一番早い」より

おもしろい。
どれがって、あなた、「今年で五十」が「一番早い」でしょうね。

四十代前半は、実年齢より五歳は若く見られていたが、最近は、実年齢より五歳は老けて見られる。
つまり見てくれは、十年で、二十年分の時が進んだ。

実はわたしも五十代の後半なんです、と言ったら、驚いてくれる人いるかなあ。
いないだろうなあ、そんないいやつは。

とにかく「今年で五十」が「一番早い」ということで。

国分良子「夏の悔い」短歌で市井の声が浅く聞けない声になる

ただの市井でない裂け目

国分良子「夏の悔い」短歌で市井の声が浅く聞けない声になる

東海道を右へと逸れて七里先の日本橋まで通勤をする(国分良子)

ご自分の動線を、上空から俯瞰しておいでの構図もいいが、わたくし式守は、ここにある「右へと逸れて」の体感に、浅く聞けないものがあるのがいい、と考える。

大きなお世話であることこの上ないが、国分良子の連作「一番早い」は、まこと小さな生活相でしかない。

お勤めの何がたいへんと言って、個々の仕事がたいへんなのはもちろんであるが、雨の降る日は傘をさすぐらいが変化の人生になってしまうことである。

式守ひとりの屈折ではあるまい

が、そんな生活の「通勤」に、くくっと「右へと逸れて」を経ていることで、市井がただの市井でない裂け目が見えた。

市井は、このような動線を営々と結んで、この日々を継いでいるのである。

市井の声は浅く聞けない

「だけ」に光芒を曳く

国分良子「夏の悔い」短歌で市井の声が浅く聞けない声になる

楽しみもなくちゃと父に先生が一杯だけと認める晩酌(国分良子)

この類の話はよく聞く。
いい話として分類されるが、なに、文学的な毒がない物足りなさである。

では、この一首は、よく聞くいい話以上のものを何も生み出していないのか。

初句から2句目への「楽しみもなくちゃと」と結句の「認める晩酌」が呼応すると、俄然、「一杯だけ」の「だけ」が光芒を曳く。

短歌はいい話をいい話だけにしない

市井の人々(医師もまた市井のお一人)のこころのやさしさがこぼれるのを覚えられる。

そして、市井の声は浅く聞けない声になる

たしかな人間たちがいること

国分良子「夏の悔い」短歌で市井の声が浅く聞けない声になる

口元にお皿を寄せて豆腐食む父は十字に箸入れてから(国分良子)

「豆腐」を「十字に箸入れて」に「父」の存在の圧倒的なリアリティがあるところも魅力であるが、わたくし式守は、その姿を目にしておられる<わたし>の心情に目頭が熱くなる。

短歌の好みは我を通すものらしい。
このような骨肉の愛を詠んだ一首を、式守は、盲愛してしまうところがある。

前の一首と並べてみたい

楽しみもなくちゃと父に先生が一杯だけと認める晩酌(国分良子)

口元にお皿を寄せて豆腐食む父は十字に箸入れてから(同)

舌を洗う程度の微醺を尊ぶたのしさたるや。

短歌はいい話をいい話だけにしない

歌の並べ方が巧みだからもあろうが、それはもう小さな生活相に、たしかな人間たちがいるではないか。

かくして、短歌で、
市井の声は浅く
聞けない声になった

保湿クリームを最強にする

国分良子「夏の悔い」短歌で市井の声が浅く聞けない声になる

できることなど限られていて私に母の背に塗る保湿クリーム(国分良子)

わたくし式守は、こんなに美しい保湿クリームを、これまで見たことがない。

ちょっと整頓してみようかなあ

できることなど限られているが……

この世には保湿クリームというものがある

保湿クリームは私の手で母の背に

保湿クリームがせいぜいゆえの愛が美しい

それが容易な状況で生まれる愛なら誰だって生み出せる。

それが困難な状況で愛を生むから美しいのである。

五十にして新鮮な感度を保つこと

国分良子「夏の悔い」短歌で市井の声が浅く聞けない声になる

飲めず終いが五十歳の夏の悔い<シェイクン  ウォーターメロン&パッション  ティー>(国分良子)

「五十歳の夏」に「悔い」が、すばらしい、の一言に尽きる。

もちろん短歌としても、この一首は、みずみずしい魅力をたたえているが、わたくし式守は、国分良子の、その人生に、「五十歳の夏」に「悔い」あることを、すばらしいとしか思えない。

五十歳にもなれば、その人生に、霧のような惰気が生れてくる。
<わたし>には、しかし、その倦んだものがない。

あ、いや、国分良子とて人生レベルでは倦んだものがまったくないこともないであろう。
しかし、この小さな生活相ではどうだ。

<シェイクン  ウォーターメロン&パッション  ティー>にありつけなかった新鮮な感度が、「五十歳の夏」なのに失われていないのである。

短歌で相反するものが調和したぞ

迷執なおあり。
しかし……、

天真の笑顔あり

人間の人生と人類の歴史

国分良子「夏の悔い」短歌で市井の声が浅く聞けない声になる

六十余段を上りかつては海だった階下をしばし顧みるなり(国分良子)

「六十余段を上」る経過は、歴とした時間の経過がある。
が、「海だった階下」によって、太古より現代への時の経過と重なった。

<わたし>が「しばし顧みる」姿は、あたかも見えない浪を破ったお姿に映って、国分良子なる歌人は、ここでも、小さな生活相を、短歌で、浅く聞くことはできない声にするのである。

前の一首と並べてみたい

飲めず終いが五十歳の夏の悔い<シェイクン  ウォーターメロン&パッション ティー>(国分良子)

六十余段を上りかつては海だった階下をしばし顧みるなり(同)

人生もまた歴史である

かくして、国分良子の連作「一番早い」は、同じ五十代の異性であるわたくし式守を、未来に大きく呼吸させてくれた。

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