小島ゆかり「<行先ボタン>」女性の人生に忍び寄る魔と代償

家庭に帰る

われにまだできることもうできぬこと<行先ボタン>ひとつだけ押す(小島ゆかり)

青磁社
シリーズ・牧水賞の歌人たち
『小島ゆかり』
代表歌三〇〇首・大松達知選

『希望』40首より

たしかに、「できること」が失われて、「でき」なくなってしまったことがあるを、この人生は、知ってゆくのである。

<行先ボタン>を「押す」ことは、「まだできる」わけだ。
これは、家庭に帰るためのものかと。

不滅の「行先」であれ

小島ゆかり「<行先ボタン>」女性の人生に忍び寄る魔と代償

OUT

ネタばれの引用はありません

「そうだね」
相槌は打ったが、弥生の子供はまだ五歳と三歳だった。すぐに踏み切れるほど、ことは単純ではない。帰る先がないのは、雅子だけではなさそうだ。

桐野夏生
『OUT』(講談社)
第一章 夜勤 1より

この身を無慈悲としか言い得ない状況に押しやる現実が、人生は、用意されているのである。

そして、たとえば一女性が、あっけなく日常から逸脱してしまうことがある。

『OUT』は、
わたくし式守の小説史のベスト3に入る。

では、小島ゆかりの手による次の一首は、人生に恵まれているからなのか。

この一首は、
わたくし式守の短歌史のベスト3に入る。

ある日なにもかも投げ出して逃げたなら大急ぎにて戻るであろう(小島ゆかり)

同/『憂春』25首より

小島ゆかり「<行先ボタン>」女性の人生に忍び寄る魔と代償

IN

小島ゆかりは、誰かの母でもある。

どこにでもゐるやうなわが二人子がどこにもをらぬときうろたへぬ(小島ゆかり)

『希望』40首より

たとえ束の間でも、<わたし>が「うろたへ」たようすが、目に浮かぶようである。

たとえ束の間でも、母なる万斛のおもいの熱量が、胸を突衝き上げる。

<わたし>は子を愛し抜いていることが、この一首で、よくわかる。

が、子だけが生きがいの人生を送ってはいないのではないか。
<わたし>はあくまで、<わたし>の人生を送っておいでだ。

娘らを怒りしのちはしづしづとドイツの寡婦のやうに食事す(小島ゆかり)

あまりにも多くの人と会ひすぎた今日の寝顔は怖ろしからん(同)

いずれも、同/『憂春』25首より

小島ゆかり「<行先ボタン>」女性の人生に忍び寄る魔と代償

OUTとINの現実性

ネタばれの引用はありません

「死体遺棄及び死体損壊かな」
雅子が言うと、ヨシエは訳がわからないというように唇を何度も舐めた。
「どういうこと。どうするつもりなの」
「バラバラにするつもり。
(後略)

桐野夏生
『OUT』(講談社)
第一章 夜勤 7より

仲間が夫を殺した。その死体をバラバラにする。
なぜ。
桐野夏生は、ここで、理由を言葉にしていない。

物事はなべてそうなのかも知れない。
理由に言葉を与えられれば、与えられるほどに意味を失ってしまうことがある。

では、小島ゆかりの手による次の理由ではどうか。

しばらくはお休みしますひんやりと豆腐のなかで眠る眼球(小島ゆかり)

『折からの雨』25首より

中高年ともなれば誰にでもある憔悴に清涼感があるではないか。
それも高い格調を帯びている。

そして、心理描写の供給過多はない。

瘴癘の地/血漿の地

ネタばれの引用はありません

ある日、雅子は同い年の男性社員の給与明細を見て頭に血が昇った。年収が自分より二百万近くも多かったのだ。
(中略)
融資の焦げ付きを巡って、雅子が上司のミスを指摘すると、いきなり殴られたのだ。上司といっても、雅子より年若で実力もない男だった。
「ババアは黙ってろ!」

桐野夏生
『OUT』(講談社)
第三章 烏 3より

女の体面や男の権力にかかずらえば、女は、自分の人生を生きられない。世の常識顔などもうどうでもよくなる。

女に人生は瘴癘の地なのか

では、ご性格は向日性の小島ゆかりもまた、それは回避できないものなのか。

(小島ゆかりの<わたし>は、桐野夏生の<雅子>ではないが、そのあたりはどうか)

否応もなく女にて喪の夜も厨に足首寒くはたらく(小島ゆかり)

愛はしかし疲れますねと夕雲の鰐の家族が歯を鳴らしをる(同)

いずれも、『希望』40首より

女であるというだけの原理に仮借なき炎が燃え上がっているようである。
けして言い過ぎではあるまい。

女を生きればそこは血漿の地なのか

女だけでもあるまいが、人生の立て直しなど企図したところで、この世は、あえなき無力を覚える現実ばかりなのである。

実を結ばぬ花のように

ニオベの娘

OUTもINも、背景は、家族である。
家族が、親が、子が、人の苦悩を帰納する。

しかし、帰納していることに目をつけたからとて、それだけでは、家族の本質を咀嚼できまい。

小島ゆかり「<行先ボタン>」女性の人生に忍び寄る魔と代償

『ニオベの娘』(前5世紀中葉)ローマの国立美術館

背に神の矢をうけていて、表情は、かくも穏やかである。
されば、OUTの鬨の声も、INの受難の旋律も、表情は、かくなる穏やかなものなのかも知れない。

ネタばれの引用はありません

息子に許されないのだとしたら、自分の何が悪かったというのだろう。報われようと思ってしたことは何ひとつない
(中略)
誰も自分を救えない。
(中略)
絶望がもうひとつの世界を選んだのだ。

桐野夏生
『OUT』(講談社)
第四章 黒い幻 4より

世間の蔭口などそ知らぬ澄ました眉が目に見えるようである。
石に伏す。花の木陰はもう願えないのである。
畢竟、無表情である。

もう不気味としか言い得ぬこの流れは、天飆ではない。旋風でもない。

女性の人生にそよいだ魔

埴輪乙女

小島ゆかり「<行先ボタン>」女性の人生に忍び寄る魔と代償

こんにやくはなにゆゑかものを思はしむたとへば見えぬたましひのこと(小島ゆかり)

『エピトリカ』30首より

中高年ともなれば敏捷性は失われてしまうが、この人生の、最後の最後は自分が頼みである知覚がつく。

このいのちがなにものかいっそう不可解になるにつれて……。

あさのゆきゆるびつつふるひるのゆき眼のなき埴輪乙女は老いず(小島ゆかり)

『獅子座流星群』40首より

小島ゆかりの<わたし>と桐野夏生の<雅子>の異同は何。

OUTとINの、その起点は、何が違う。

知るは「埴輪乙女」のみ

小島ゆかり「<行先ボタン>」女性の人生に忍び寄る魔と代償

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