
目 次
オニオンリング
とめどなく話しましたね二次会はオニオンリングだらけでしたね(石川美南)
KADOKAWA『短歌』
2014.10月号
「朗らか」より
浮き世の義理で出た酒席ではないらしい。
喜々とした饒舌をたのしむ声が聞こえて、こちらまで相槌の一つも打ってしまいそうな一首ではないか。
この一首を読めば、人は、その暮らしのざらつきを除去してもらえる。
それほどの一首だ。
少なくともわたくし式守にはそうだ。
なぜ?

オニオンリングだらけ
で、オニオンリングは、どんどん口に運ばれていたのか。
それはないな。
酒の肴は、オニオンリング以外はたちまち淘汰されて、座席が、「オニオンリングだらけ」になってしまった。
残されたオニオンリングは、この座席が、どれだけたのしかったか、その指数である。
とめどなく話しました
人間の、このような姿は、まこと好ましい。
お相手とご自分の、これまで育ててきた、人さまへの抱擁の力をおもえないか。
人間は、相性というものが、たしかにある。
が、相性、ただそれだけでしまいの話なもんか。
人と人の紐帯は、それが生まれるには、それぞれが持ち寄る抱擁の力が支えではないのか。
カッタルイこと言ってしまいましたね
が、かくして、
たかだか酒席が人生の詩になる

何かを説き合って、二人は、興の尽きることがない。
ということを、石川美南は、たかだか短歌で、鮮やかな詩に収めた。
それでいて、石川美南は、けろりとしておいでの余韻がある。
ああこの余韻のまた独特なこと
されば、
文学は、一方に、心細く夜明けを待つ、そのような夜がある。
この一首は、そのような断片とは対極だ。
ちょっと見渡せばいくらでも発見できる眺めを、オニオンリングによって、なぜこうも人生の詩に昇華できた。
人生=制約=短歌

仕事をその代表として、人生は、制約の中を生きることばかりである。
酒席とて同じだ。
その時空は、この一首にあるようなものばかりではない。
そして、短歌。
短歌なる詩をものすには、定型に沿って、つまり制約の中でなさなければならない。
しかし、その制約があるが故に、短歌は、この世界の時間をループさせる円を描いてしまえる。
光の輪
読み返してみたい。
とめどなく話しましたね二次会はオニオンリングだらけでしたね
オニオンリングは永遠だ
オニオンリングはリングだからだ
妄言でしょうかね
されど、この世界は、人と人の紐帯によって、いくつもの円が描かれているではないか。
円形の光が浮遊するイメージを、人は、拒絶しない。
風に遊ばれて、空中を、きらきらと舞う光の珠。
光の中の光の舞いに、人は、ささくれだった神経が、しばしなめされる。
かくして石川美南の「オニオンリングだらけ」は、わが双眸に、つよく(まことつよく)烙きついた。
オニオンリングはさぞ冷めていたに違いない。
されど人は冷めない
