
目 次
去りゆく父と永く病む少年
ブロマイドはりめぐらせてわが父と同室の少年は永く胸病む(井上正一)
第8回(1962年)角川短歌賞
「冬の稜線」より
こんな短歌に弱い。
切り取られた場面の奥行き。
病室は、人々の、患者への複雑な思いを包む。
いかに健康な壮者とて、病室に長く身を置けば、憔悴や血相が顔に出る。
読者にもまた。
結果、一首は、空間としては狭い筈なのを、どこまでもどこまでも奥がある。

死に冒されている生命への愛

「長く病む」ではない。
「永く病む」である。
作者は、「長く」と「永く」は、おそらく潔癖に使い分けたと思われる。
すぐ死が待っている、とは言っていないが、死んでしまう可能性が高いわけだ。
「ブロマイドはりめぐらせ」た背景に、少年に、(あるいは少年の親御さんに)言葉もない。
そんなことがあっていいものか
少年や少女がかんたんに死んでいいわけがない
大人にならずに死ぬなんてつまらないじゃないか。せめて恋人を抱いて、もうこのまま死んでもかまわないっていうような夜があって。天の一番高いところから見下ろすような一夜があって。死ぬならそれからでいいじゃないか。
中島らも
『今夜、すべてのバーで』
(講談社文庫)より

もちろん父も/そして父とは過去がある
いかに父をうとむも鏡にうつりゐるわが顔は父を継ぎてゆくなり(同・冬の稜線)
カレンダー明日に直して病室を出で来つ遂に父を捨て得ず(同)
平凡に生き来しとしか思へぬに父の寝息は喘ぎに似たる(同)
他人同士とは元より異なるが、親子間も、好き嫌いはある。
親子の情は、正へも負へも整理がつかないのである。
どんな過去かは知らないが、それを拒絶してもいいだけの過去が、あるいはあったかも知れない。
されど、親子とは、そうかんたんにゆく話ではないのである。
夜の窓に家ら灯(ひ)を消すと見てをれば静かに見つめられゐき父に(同)
眉間の皺に潜む、去りゆく父の視線は、<わたし>に、親として当然の愛を告げた。<わたし>はしかし、それを、当然として受け止められない。
親がいた/家族があった
切り崩された山の断面を見てみたとする。
断面は、世紀の色が重なり合って、層をなしていよう。
親子にも、家族にも、この積層があるようだ。
喀血終へし父へやさしく頷づきてゐる妹をおどろきて見つ(同)
おどろきて? 妹の過去に父はそのような存在ではなかったらしい
花束を胸に分けつつ妹は父の墓洗ふわれに近づく(同)
分けつつ? 追悼はふたりでともにということか
青田貫ぬける一本道ゆきつつ妹も亡父のことなど言はぬ(同)
一本道?
兄と妹の体温を持つ霧のような道ではないか
去りゆく父に永く病む少年がいて
柿の種子吐きつつ父は同室の少年を性(セクス)のことにからかふ(同)
この「性(セクス)」には、明るさと可憐さがある。去りゆく父と永く病む少年の声は、生命に徹する香りがある。

<わたし>は、永く病む少年に、去りゆく父への間違ってしまった過去を見たらしい。
このあまりに大きな悔いを、たかだか短歌一首が、やさしく包む。
この病室を小宇宙に
