
目 次
その荷物はまわるのである
杖ついてゆっくりあゆむ老人の片手の荷物はよく回りおり(井川京子)
KADOKAWA『短歌』
2015.9月号
「青空」より

紐の長い巾着か何かか。
あるいは、スーパーで買い物をした袋か。エコバッグとかレジ袋とか。
たしかにあれが回ることがある。
たまに逆回転させて元に戻すが、歩いているうちにまたねじれてしまう。
結果、くるくるまわる。
難儀するものなのである、あれ。
子どもの時だけの話かと思っていたが。
給食当番で割烹着を詰めた袋を手に提げて下校していると、この「まわる」があったものだ。
この老人は、難儀を覚えていないのか。
昨日や今日の老人じゃない

この人は、独居老人なのか。
家に行けば、どなたか待っておられるのか。
杖をついているではないか。
ご長寿だから杖の一つも必要なのか。足腰がまだ達者であっても、おみ足の悪いなかを歩くことになって、ともなれば杖が必要になったのか。
しかし
ゆっくり歩いておられるのである。
ゆっくりあゆむ
まずい書き方なのは百も承知であるが、杖をついて歩くご老人など、この国に、現代は、珍しくもない場面なのである。
されど目を離せないのはなぜ。
なぜ
昨日や今日の老人じゃないな。
荷物がまわるのに平然となさっておいでのお姿に、わたくし式守は、憧れさえ持った。
白い割烹着/水着のビニール袋

わたしは約半世紀前、給食当番の週の終りに、白い割烹着を手に下校することにまことに難儀していた。
しまいにひゅるひゅるまわしながら歩いた。
夏。
今日はプールの日。
少年たちは、水着のビニール袋を手に登下校するが、これなどねじれてもいないのにひゅるひゅるさせる。
子どもはバカあなあ
っつうか男の子はバカなんだな
杖ついてゆっくりあゆむこのお年寄りは、男性か女性か。
男性だった、として、ガキの頃は、やっぱりひゅるひゅるさせていたのだろうか。
ゆっくりあゆむ凄み

読み返す。
杖ついてゆっくりあゆむ老人の片手の荷物はよく回りおり(井川京子)
凄味を感じてきたではないか。
杖をついていて、老人であられる、ともなれば、ゆっくりあゆむしかないのか。
そうかも知れない。
でも、杖を必要としないで、まださほどの高齢ではない、としたらどうか。
ゆっくりあゆむことをしない人の、この国は、何と多い人生か。
まわる荷物を手に提げていても平気な境地に、わたしはまだ、達していない。
しかし
そんな境地にまだないことに安堵があることもややこしいところで、今のわたしは、そんな年代にあるようだ。
そのようなこの一首。
まことまことにこの一首に、わたしは、愛執を持って、既に暗記しているのに、この一首をおりおり味読してしまうのである。