
目 次
生と死とあくまで生の側にいて
空に小さき皺も残さず人逝きて拡声器の声新しき四月(五十嵐順子)
ながらみ書房『連鎖』
(母葬りたる視界)より
「人逝きて」に、「空に小さき皺も残さず」との表現は、わたくし式守の胸に、しみじみとしむ情感がある。
されど、わたくし式守に、なぜこんな表現をなせるのか、憧れの花が咲くのは、「人逝き」たる「空」に、「拡声器の声」があること。
人は、誰かの死後を生きる。
大きな岩のようにずしりとした宿命を、五十嵐順子は、このように一首に収めてしまえるのである。

誰かの死後を生きる
「人逝き」たる「空」に、「拡声器の声」が。
天を、神よ、なぜ。
人が人と死別することがあれば、その事実は、なかなか角度をとることがない。
一面の青空の、そのどこかに、賢しらな神が、こちらを見おろしてでもいるかだ。
「逝き」たる人のこれまでは何。
あんまりじゃないか
愛する者が「逝く」において、「空」に、「小さき皺も残さ」なかった。
天を、神よ、なぜ。
神もあんまりじゃないか。
生き残った者は、「拡声器」まで使って、その声を放つ。
それも「新しき四月」だそうな。
「逝き」たる人のこれまでは何。
残酷な天地を整頓する
どなたかたいせつなひとが亡くなられました
なのに空はこんなにきれいなのです
生きている人は叫んでもいるのです
地はいま未来ある春爛漫
<わたし>は生死の生である
疑いようのない生死の生である

読み返す。
空に小さき皺も残さず人逝きて拡声器の声新しき四月(五十嵐順子)
いい歌だなあ。
広大な天地を、生と死が、大きく(まこと大きく)張り合っている。
死を映す空に、人は、重心を失う。
その場所を、この身が、ふっと浮上する。無常の変相に、心が、時をさまようのである。
そして、この身を知る。
この身は、地に、まだとどまっていることを。