穂村弘「目を閉じる」燦然とされど痛みに裂かれるあの夏の光

穂村弘のわたしが愛する一首

コピー機に本押しつけて目を閉じる 岡田有希子の夏の光よ(穂村弘)

本阿弥書店『歌壇』
2016.8月号
「五百円玉の夜」より

確かめる機会がないが、試験が近づいた学生が、友人のノートや試験に関係する書籍をコピーすることが、現代でもあるのだろうか。

通学している図書館だろうか、<わたし>は、「本」を、コピーしていた。

さして厚くない本でも、コピー機のカバーはいくらかあいてしまう。
原稿ガラスの光源が眩しい。
目が痛む。目を閉じる。

回想である。
昭和61年(1986)か。

昭和62年は、<わたし>は、社会人になっている。作者の、公表されている年譜によれば、そういう計算になる。

昭和61年(1986)。
アイドル歌手の岡田有希子が投身自殺した。

若かった<わたし>

<わたし>は、スター歌人として、まだ世に出ていない。

就職だって容易だったかどうか。
そこに立ち入ること大きなお世話であろうが、いくら時代が好景気に湧いていて、難関な大学の若者であっても、応募さえすればやすやす内定をもらえるほど世の中は甘くない。

試験があってか、あるいは、卒論の準備でもしていたか、「コピー機に本押しつけて」、コピー機の光源の眩しさに、<わたし>は、あ、いや、穂村弘は、目を閉じるだけで満足できる若者ではなかった。

岡田有希子

岡田有希子の死がどれだけ衝撃だったか。

若者たちの自殺が相次いだ。ユッコ・シンドローム。
多くの識者が、当時の若者たちに、つまりわたしにも、死ぬな、と呼びかけていたことは、まだよく記憶に残っている。

岡田有希子が、テレビで、ラジオで、雑誌で、屋外のイベントで、輝いていたのは、わずか3年の時間だった。
その光が消滅してしまったとは、わたしには思えない。

<わたし>も同じ筈である。
だから歌に登場した。それが3年という一瞬であっても、その光芒は今も曳かれていたわけだ。

これを「夏の光」とするのは錯覚ではない。
最悪の結果がもたらしたものであっても、これは、美しい確信なのである。
そして、この美しさは、衰弱を知ることがない。

人の死を扱ってなお余る詩的な機微

穂村弘「目を閉じる」燦然とされど痛みに裂かれるあの夏の光

岡田有希子の死を、詩的表現のアイテムに、下句に、都合よく配置した一首ではない。

都合よくないか、などと言いがかりをつける人などいまいが、やはりセンシティブな歴史であることを思えば、ここに補足しておきたい。

岡田有希子が何者であろうと、人一人の死を扱って、しかし、なお余る詩的な機微を有した一首である、と。
端的に言えば、詩的強度がある、と。
不謹慎ではない、ということだ。

高い人気を誇っていたアイドルと他人の著した書物をコピーする<わたし>。
しかたなくそうしていると印象されもしようコピーによる光と最悪の結果によって決定的になった不滅の光。

目を閉じる

コピー機に本押しつけて目を閉じる 岡田有希子の夏の光よ(穂村弘)

21世紀に誕生した若者は、「岡田有希子の夏の光」に、実感が伴うことはあるまい。

が、21世紀に誕生した若者は、21世紀に誕生したからこその、「夏の光」たる存在があろうか。
その存在のファンであるとないとを問わず、永遠の光である、と確信してよい存在が。

コピー機の光に条件反射で目を閉じれば、目は、瞼で、光から保護された。
されど、昭和61年(1986)、<わたし>は、岡田有希子の、その夏の光にも目を閉じたのである。

忘れられない記憶の光に、この人生は、今も、痛みに裂かれることがある。
痛みはいつしか倒錯した甘美となった。

若い一女性の、燦然たる、されど最悪の結果によって今も曳かれる光に、穂村弘たる<わたし>は、目を閉じる。
80年代後半に若者だった多くの者が、今も、その光に目を閉じる。

そしてまた目を開ける。
生きている、と。
生きている、と。

穂村弘「目を閉じる」燦然とされど痛みに裂かれるあの夏の光

目よ/生きている

当時、総務部で社員に健康診断を勧める立場だったので、受診してみた人間ドック。医師から「緑内障の疑いがあります」と告げられた。ショックだった。同時に、「やっぱり来たか」という思いもよぎった。

 緑内障は、眼球の中の圧力「眼圧」が高くなり、視神経が傷ついて視力が失われる。10年、20年かけて視野が少しずつ欠けていくため、本人が気づかぬうちに進行していることも多い。

yomiDr.
[歌人 穂村弘さん]緑内障(1)“不治の病”に自分の残り時間を意識 退社し「もっと書こう」
より

達吉は、天地が真闇だった。大波が、自分を呑んだ。体は前後上下に揺ゆれていた。わずかに、目を開けると、しっかりと自分はけやきの木の枝にしがみついていた。
「おお、己は、生きているぞ! 

小川未明
『僕はこれからだ』より

わたくし式守は視機能に異常がありますが、眼科領域に受難の苦しみがおありな方に、心からのお見舞いを申し上げます。

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