
目 次
大きなくりの木の下で
「なかよくあそびましょ」の内向きのニュアンスに少しこだわる(早野英彦)
本阿弥書店『歌壇』
2015.10月号
「されど」より
ああ、こう詠まれてみると、あの歌詞は、たしかに気にならないでもない。
この一首は、連作「されど」の最後の一首である。
次の一首に並んでいる
幼子のため指一本で弾いてみる「大きなくりの木の下で」(同)
でも正しくは「たのしく」です
正しくは「たのしく」ですね。
おおきなくりの きのしたで
あなたと わたし
たのしく あそびましょ「大きなくりの木の下で」
作詞:阪田寛夫
「なかよく」って何だかヘンだ
いつからだろう。
ともだちの家の前で、
○○く~ん、あーそぼっ、
と言わなくなっていた。
大人になる過程で突撃訪問はしなくなったのである。
あーそぼっ
遊びたいからの訪問だった。
なかよしなのだ。あるいは、なかよしのはじまりだったのだ。
「なかよく」だろうが「たのしく」だろうが、あそぶことに、どのようになんて語彙の補強は要らなかった。
♪大きなくりの木の下で♪は協調性を刷り込むための童謡だったのか。
知らんけど。
大人目線だった気になってきた
たしかに内向きのような
読み返す
「なかよくあそびましょ」の内向きのニュアンスに少しこだわる(早野英彦)
ふむ。
大きなお世話な気がしてきた。
いじめとかそういうことがある輪であればまた話が異なるが、♪あ~な~た~とわ~た~し♪が、ちょっとしたことでけんかになっても、他人は自分と同じでないことを知るいい経験になるではないか。
他人と同じでない者同士がなかよくするには経験が要る。
ああ、そうか。
それで「なかよく」あるいは「たのしく」と?
ってそうか?
そうか?
あなたとわたしはどこへ
連作「されど」には、こんな一首もある。
逮捕者二名六十代と夜遅く短く伝えその後は知らず(早野英彦)
この六十代の二人組は何をして逮捕されたんだ。
どんな関係だ。
どんな、とはつまりなかよしだったのかどうか。
なかよし?
気になる。
まさかいい大人が殴り合いでもしたのか。
それならいいが。
え、いいの?
いい、それならいい
幼稚であるが、ま、喧嘩両成敗。
わたしが知りたいのは、一方がもう一方の犯罪行為を制する過程はなかったのか。犯罪行為の協調性がそこになかったのか、ということ。
ほれ
ほれ?
なかよくあそぶだけで大きくなるとこんなことになる。
とまでは言えまいが、あまりに好感を持った連作だったのでいつか記事にしたいと思っていた歌たちでした。
