
目 次
何かこう料簡がお狭いとしか思えないが
黙つてもをられぬままに口をきき用なき人に長居されてゐる(長谷川銀作)
筑摩書房『現代短歌集』
長谷川銀作集
「寸土」より
人生とは、とまでは言わない。
日々の暮らしは、自分に有意義な時間ばかり待っていない。
自分だけ自分の好きなように過ごすことはできない。
長谷川銀作の短歌はおもしろい
ぜったいいい、と思うんだよなあ

料簡の狭い<わたし>
口つけず歸りゆきたる人の茶を一口飲みて庭に投げ捨つ(長谷川銀作)
同・「寸土」以後より
出した「茶を一口飲」んだようだ。が、それを、すぐ「庭に投げ捨」てた。
しかし
人間が小さく
人間の小さい<わたし>は、日々に、こんな歌が並ぶ。
美味いもの食べさせてよと甘えよるをんなの腰を見むとせざりき(「寸土」以後)
天主堂跡に佇みて山の手の靑む草木に問ふこともなし(同)
古服はストーブに焚くとよその國の話をききぬただ話として(同)
全く能動性がない。
<わたし>はちょっかいを出される
人間が小さいことでは、ご本人が、これをいちばんよくわかっておいでなのである。
風當たりすくなきことをひたすら希ひつついよいよ吾は小さし(「寸土」以後)
「ひたすら」に実感がこもっている。
が、「ひたすら」につれて、「いよいよ吾は小さ」くなるのであるが。
身をめぐる事象は、なお平穏を与えてくれぬ。
裸になり汗かきをれば煙突の煤がまひきてわが腹につく(同)
きいたふうなものいひをして玄關に立つ學生の聲にきき入る(同)
だったらいちいち気にしなければいい。
が、そうもいかないか。次のような場面に身を置くめぐり合わせがおありのお人だからである。
踏切のそばまできたり機関車が汽笛を鳴らし戾りゆきたり(「寸土」)
なんなんだ、
というかんばせが目に浮かぶようである。
が、なんなんだ、に相当する心情は、一切描かない。
2句目で区切って、「きた」と「戾りゆ」くを描けば、おお、なんなんだ感にスピードがある。
セルフチェック
わけもなくこはれし眼鏡をポケットに入れむとしつつ動悸を覺ゆ(「寸土」)
なぜ動悸?
知らん。
わたくし式守はもちろんであるが、<わたし>もまた。
頭のしん重く苦しくをりしとき手の甲の小皺あやしく光る(「寸土」以後)
こっちはわからなくもない。
世間とこのように対峙しておられれば、そりゃ「頭のしん重く」もなろう。「苦しく」もなろう。
そこに「手の甲の小皺あやしく光」った。
「眼鏡をポケットに入れむとしつつ動悸を覺ゆ」ことが、この目にはっきりと視覚化されてしまった。
かねてより気の倦む問題だったに違いない。
この先をずっと頭から離れない問題として逢着した。
人間の小さい人も、これでどうしてたいへんなのである
<わたし>は好かれている
小さきこともいへず人きたり吾の獨りの心をみだす(「寸土」以後)
訪問客は、<わたし>に歓迎すべき者ではない。「吾の獨りの心をみだす」存在でしかない。
とことんこんなお人なのである。
しかし
ぬけぬけとしらを切られし苦しみを忘れて今に人を信ずる(同)
おお、
人間がでかいじゃないか。
長谷川銀作はきっと人々に好かれておいでなのだ
表現のレベルで特殊なところの何もない一首をこう一気に読み下してみると、無個性が無個性でなくなる。
結局、<わたし>は、「獨りの心をみだ」されることになろうが、長谷川銀作の作品群は、まこと魅力的な人間の歌として結実した。
背景に時代を特定できないこと
名前が銀作かあ。かっこいい名前だなあ。
いつの人だ。
何にしたって、現代では、この名前を付けることはないよなあ。
明治二十七年二月静岡市に生る。大正三年東京商業學校卒業、北陸評論記者。六年創作社に入り若山牧水に師事す。
長谷川銀作集末尾略歴より
明45・大1年(1912)男子名前ランキング
1位・正一/2位・清/3位・正雄
当時でも珍しかったのか。銀作。
明治ではキラキラネームだったとか。銀だけに。
ぬぁんてことぁないか。
でも、この「銀作」の名前を伏せて、旧字を用いないで読めば、ここにある作品群の時代を、わたくし式守は、特定できない。
わたくし式守は、そのあたりに、なんなんだ、となった。
新しくないが古くない。
時の経過に伴ってちっとも古びていないではないか。
言わでものことであるが、長谷川銀作という歌人を、わたくし式守は、誰より好きである、との強い憬慕は持たない。
が、どの時代に生きておいでかすぐには特定できない歌を、このように詠む歌人がおられた。
それひとつで、わたくし式守に、この世界は、明るく更新されたのである。
