
目 次
淡々としている命の瀬戸際
このままに死にますかと問ひたきに懸命の医師を思へば言へず(榎幸子)
本阿弥書店『歌壇』
2016.8月号
「熟寝」より

大した病気でもないのに、死ぬ、死ぬと騒いでいるわけではないのである。
医師は、<わたし>のために、それはもう懸命になってくれているのである。
死ぬなら死ぬと言ってほしいとや。
わかる。
そのような心情があろうことに想像が届かないことはない。
そんな質問を、<わたし>は、できないお人らしい。
このようなお人を、わたくし式守は、すぐ好きになってしまう
言える/言えない
あたしって~
言いたいことは~
言ってしまう人なの~
なんて言える人がいるんだよなあ
そういう人がいてもいい。
言いたいことも言えないままに、逆に、言いたいことを言われっ放しで、暗然とその日の夜を過ごす人生を生きないですんでよかったね。
言いたいことはすぐ言ってしまえる以前に、そんな自分であることを誇るのは恥ずかしいかも知れないと思ってさえみない自意識の欠如を、思いっ切り囃したくなる
懸命→言へず=思いのふかさ

「懸命の」なる措辞の確かさで、「言へず」の思いは、どんなに深くあるか、一読しただけでわかる。
結句の「言へず」は、「懸命」に、医師による非利己的な献身の姿を見せた。
<わたし>の目を通した医師に、困難への勇気と忍耐があることを、<わたし>と同じだけ感謝できるのである。
言ってはいけない

このままに死にますかと問ひたきに懸命の医師を思へば言へず(榎幸子)
この<わたし>が、先の、言いたいことを言われっ放しの側なのか、この一首ではわからない。
言いたいことを言ってしまえる人なの、と言ってしまえる人でないことは確かか。
<わたし>のために、要は、がんばってくれている。
そんな人を、そんな心を、<わたし>は、穢せなかった。
ぜったい
いい歌だと思うなあ
医師と患者の医学の絆

読み返す。
これで最後だ。
このままに死にますかと問ひたきに懸命の医師を思へば言へず(榎幸子)
「このままに死」なせるわけにいかない。
医師が「懸命」なこと、果たして、これは、職業上の倫理なのか。
医師は、ただただこういうことであろう。
死なせない
そして
患者たる<わたし>は、こうなろうか。
死ねない
このままに死ぬか、などと問えるわけがなかった。
この一首は、医師と患者の、そう言ってよければ、人間同士の、それも美しい絆があった。