
「魔改造」
遺伝子を組み換へられし食卓が徐々にわたしを魔改造する(江畑實)
ながらみ書房『短歌往来』
2026年3月号
「おぼめく」より
短歌に「魔改造」が登場した、
知ってはいる言葉だ。
(筆者(わたくし式守)は清掃作業員であるが)
ただのモップがけも、その作業品質は、魔改造レベルだ。
(こんな使い方か?)
この一首に、筆者は、戦慄した。
一生物としてそこから逃れられない根源的な恐怖を突きつけられたからだ。
ということについて以下
恐怖のグラデーション
読み返す。
遺伝子を組み換へられし食卓が徐々にわたしを魔改造する
組み換へられし食卓/わたしを、と。
受け身を重ねている。
日常が異界へ変貌する恐怖がグラデーションになった。
「魔改造」という言葉のインパクト。もはやスラングではない。
人間の心をじわじわと侵食する意味を持った。
食卓はもう、過去の食卓ではなくなった。
一瞬の毒ではない。少しずつ今も進行している。
もう手遅れであるという不可逆的な恐怖を覚える。
食卓が魔改造する主客の逆転
人間は、食卓の上の料理を食べる側だ。
それが、歌の中の関係性では、無機質な食卓に意思が生まれて、「わたし」を「改造する」側に回っているではないか。
この主客の逆転が、人間が無意識にそう思っていよう、万物の霊長としての安心感の如きものを根底から揺さぶってこないか。
食卓とは、本来であれば、生命を養う場所である。家族が集う最も安全な聖域の筈なのである。
そうではないか。
食卓という聖域は、人間には手の届かない存在の手によって、実験室にされて、ひいては変異の現場になってしまうのだ。
文語体とスラングの衝突
「組み換へられし」と。
文語体である。文語体には、そこに、歴史の重みが潜む。
そんな文語体に、「魔改造」というスラングが混入した。
遺伝子がバグを起こす過程が、言葉の並べ方具合、その響き合いだけで表現された。
この一首は、社会批判か。
そうかも知れない。が、社会批判にとどまってはいまい。
生きるために食べる行為が、自分を、自分でないものに変貌させてしまう。
そして「蠟の一族」へ
逃れられない根源的な恐怖の果てに……
「おぼめく」にはこんな一首もある。
繭にねむる少年たちの遺伝子は魔改造され――蠟の一族(江畑實)
眉宇に少年らしさを残したまま時を止められた少年たちが印象される。
人間としての生々しい感情や成長、ついには生殖能力をも剥ぎ取られてしまったかの。

だとして、少年たちは、もはや個としての人間ではない。
支配者やそのシステムにとって都合の良い形に成形されたクローンである。「蠟の一族」には、変化する自由も権利もない。
その変化しないということが、強い哀れみを誘う。
人間の近未来の、妖しくも哀しい世界の歌である。
