千葉聡「副部長あっくんの」中高年ニューカマーはかく思いき

短歌とはまず楽しいものらしい

副部長あっくんの背を追いながら今日は保土ヶ谷公園二周(千葉聡)

本阿弥書店『歌壇」
2015.9月号
「空ひとつ」より

短歌を読むようになって、たのしいな、と思ったら、その短歌を都度、ノートに書き留めていた。

まだ、自分でもつくろう、とは思っていなかった。
コレクションである。

そのノートの、これは、はじめの方にある。
迷わず書き留めたことを、今も、よく記憶している。

短歌のニューカマーは、この一首を、ドキドキしながら書き留めたものである。

千葉聡「副部長あっくんの」

あっくんの魅力的なこと

この連作「空ひとつ」の2首目に、次の一首がある。

「千葉先生、顧問になってください」と丸刈り頭を下げるコバさん(千葉聡)

<わたし>は、陸上部の顧問である。

先生が生徒を追っているのがいい、と思った。

あっくんが陸上部のエースとか部長じゃないのもいい。と言って、非陸上部員より走るのが遅い、なんてドラマ的性質がないのもいい。

あっくんが、あっくんと呼ばれていることに、わたしはため息をつく。抱きしめたくなるかわいい少年である。

少年呼ばわりしたら、あっくんは、びっくりした顔をするだろうか。

短歌はかんたんにできないことを知る

先生はあえてあっくんのうしろを走る。

先生は、ほんとうはあっくんより速く走りたいが、その脚力はないのかも知れない。だが、先生に、あっくんより脚力があっても、先生はやっぱりあっくんのうしろを走ったのではないか。

あっくんは見守られている。

「副部長あっくんの」の1首前に次の一首がある。

練習後十分以内に着替えるため誰も夕陽に気づかぬふりで(千葉聡)

「ふりで」もよかった。
美しい夕陽であることを、みんなは、ちゃんとわかっていたのだ。

しかし、その美しい夕陽を、みんなで眺めていては、語り合っていては、着替えの時間は残っていない。
大人であれば捨て置くこともあり得る夕陽を、この若者たちは、「気づかぬふり」をするみずみずしさもまたよかった。

千葉先生と副部長あっくんの走る影を伸ばした、オレンジ色の、その美しい夕陽は、わたしにも見えた。

短歌のことをこれからたくさん考えてみたい

たかだか5・7・5・7・7で、これだけのことができる。
逆を言えば、わたしは、せっかくの詩を、これだけうるさく言わなければ伝えられないらしい。

短歌における、そういうところを、このウェブサイトで、これからたくさん考えていくつもりでいる。

「今日は」/「二周」
「保土ヶ谷公園」を中途でぶった切ってこのように語彙を斡旋すると一首がしゅっとなることも知った。

空の下は、伴に温かい指導者と若者が走る世界でもあったのだ。

かくして、千葉聡は、わたしの、わたしより若い、おこころのあたたかい先生になった。

千葉聡

千葉聡「副部長あっくんの」中高年ニューカマーはかく思いき

わたしが短歌という詩を読むことにおける、その動力の基幹部位に、千葉聡という存在がある。

わたしののこりの人生に、短歌は人生を通して読み続けるに足る文学であることを扶植した歌人の一人が、千葉聡である。

そして、今も、おそらくは、わたしにのこされている人生の、この先にも、この動力は、劣化することがあるまい。

なぜそう言い切れるのか、それは、わからない。
わからないが、ただ、千葉聡の短歌に潜む人間観は、この世を送る人になくてはならない、たいせつなあり方がないか。

若者に、生徒に、未来がある。
夢がある。希望がある。
教師・千葉聡はこれを育てる。

が、だからと言って、ご自分が、夢や希望の舞台から降りているわけではない。

リンク

MEMO

千葉聡さんのツイッターには、ご勤務先の学校の小さな黒板に、日々、短歌を書いて、日々、その画像がアップされています。