
目 次
結社無所属は歌集を出せないのか
結社無所属だろうが歌集を出せないわけがない。
が、師も先輩も友(歌友)もいない。相談できる相手がいないのである。
どなたか好きな歌人にメールを送って教えを乞うことも不可能ではないが、たとえお相手にご迷惑がなかったにしても、その礼はどうしたらいいのか。そんなことはしないでいい、となったとしても、何の義理も縁もなかった者としてそれは通るまい。
出版社には、その点を事実通りにお話しして、他の人であれば前提になっていようことからご説明願うしかない、と判断した。
で、出版社はどこに
詐偽の不安のない出版社であればどこでもよかろうかと。
詐欺の不安のない出版社とはたとえばどこだ。
歌集の出版をしているところとして知られているところであれば問題ないかと、
事実、わたしがお願いしたながらみ書房は、詐偽うんぬんがないのはもちろん言うまでもないが、他の人であれば前提となっていることにも親切なご説明をいただけた。
ながらみ書房以外だってそうだろう。ながらみ書房以外を経験していないのに断言してしまえるのは、たとえば本阿弥書店で複数の出版をしている著名な歌人もおられるし、本阿弥書店にお願いしていても、ながらみ書房と同様に、要は冷たい扱いを受けるなどなかった筈だ。
なお、わたしは、その歌を大好きな五十嵐順子さんがこれまでずっとながらみ書房様で歌集を出しておられて、ではわたしもながらみに、とながらみ書房様に決めた。
歌稿をいかにまとめるか
出版社とのやりとり以前に、相談できる人がいない者に何が手薄になるか、と言えば、この歌稿をまとめるところかと。
選歌
構成のことはもちろんだが、それ以前に、どの歌を載せて、どの歌は載せないか。
経験が豊富な人のご意見を得られない。
これはもう自分の載せたいものを載せる。載せたくないと思えば載せない。というまことにシンプルな〇か✕かで決めた。
それしかないと肚を括った。
ただし、〇にしても、そのほとんどは、推敲に推敲を重ねることになった。さっさと✕にして捨てていては、歌集らしい歌集にするだけの数が足りなくなってしまうからである。
構成
テーマごとに再構成する方法を選択した。
初期作品から順番(編年体)に、あるいは最近作から順番(逆年体)に並べたくても、連作としてまとめようにもまとめようがなかったのである。
その連作の順であるが、わたしがそうしたい順に並べた。
さらにⅠとかⅡとかに括れないか、と考えないでもなかったが、これは、不要と判断した。
目次で一覧化されたものがたいそうに分類されているのに、掲載されている歌の数が約250では、目次の視覚的印象と実作とにアンバランスが生じることを懸念した。
わたしは、連作をどこかに発表した経験がないが、しかし、歌集を読むにおいて、どの歌集も、それはもうボロボロになるまでブックオフが引き取ってくれなくなるほど繰り返して読んでいる。
「連」の順番については、あの歌集ではこうはしていない、あの歌集はこうしていた、そういう比較をして決めた。と言うよりも、それしか方法がなかった。
好きなように
そもそもこの歌集を出すのは誰なんですか、ということですよ。
このわたしだ。
わたしの好きなようにまとめればいいではないか。
そして、出版社は、それを、最大限尊重して事を進めてくれた。
一頁何首組みか
申込の段階で歌稿はまとまっていた。
一頁三首組みだったり、二首組みだったりといろいろあるが、わたしは、一頁二首組みを依頼した。
出版社のご担当者様が、わたしの申告した約250首に対して、では一頁二首組みに、とご案内していいただいて、わたしとしても、ではそれで、と。こっちは何もわかっていないのである。代替案など持ち合わせちゃいない。
これ以外の方法は、出版後の今になっても思い浮かばない。一首組みでは頁数が増えるばかりだし、三首組みでは、頁数が少なくなって、一冊が薄くなってしまう。わざわざ書籍化するのである。スカスカな印象にすることないではないか。
制作過程
申込の段階では、今後の出版の流れの、もちろんその段階で詳しい日程までは踏み込まない(踏み込めない)説明をしていただいたが、それでも不安はなお拭い去れなかった。が、結果から逆算すれば、不安などまったく要らなかったようだ。
ざっと以下の流れで進んだことをここでレポートしたい。
校正
わたしは、企業会計に従事していたことがある。旧東証一部に上場していたので、ディスクローズの作成が不可欠だった。が、その頃は、今のように、自分のデスクのパソコンで作成して、出力も社内でして、ハイこれで校了に、なんてストーリーはない時代だった。
なので、初校が送られて、(初校の)校正戻しをして、といった出版物のだいたいの流れはイメージできていた。
が、「装幀」はどうするか、「あとがき」はどうするのか。このあたりは、進め方(たとえばどの段階で装幀の意向を伝えればいいのか)、そのへんは、さっぱりイメージできなかった。
「装幀」と「あとがき」
が、このあたりも、出版社のご担当者様のご案内に従えばそれでいいだけだったのである。言ってみれば、指示待ちということだ。それでよかったのだ。
次は何々について、とご案内をいただける。そこで「装幀」の意向を伝えたし、「あとがき」の提出も、ご案内があってからだった。
なお「あとがき」はあとがきで、また校正がある。
栞文と帯文
当記事のタイトル通り、結社無所属なので、栞文をお願いできる方がいなかった。したがって、わが歌集に、栞文ははさまなかった。はさめなかった。序文や跋もない。これも同様の事情による。
が、帯文は、編集部で作成していただけるとのことで、これは付けていただくことにした。
校正のことで補足
初校が届いた時である。
引き返せない、と思った。
そこに、胎を括って歌稿をまとめたつもりだったものが、実際に本の体裁で見てみると、どうも当初のイメージと違うことの混乱もあった。
歌稿は、Microsoft Wordにまとめたが、当然、そこには、一頁に何首も並んでいた。ゲラには、一頁に二首。よって頁を何度もめくることになるわけだ。
となると、次の歌を読むのに、Microsoft Wordの間隙より長くなるポイントがある。頁の数だけある。
この間隙の差が、自分でまとめたものなのに、歌の印象が、当初のイメージを変えてしまうようだった。頁内だって似たようなものだ。一首の文字のサイズの違いもあろうが、Microsoft Wordの歌稿より余白があるのである。同頁内でも間隙の差がある。
なお、それは、プラス、「連」単位の印象も変わることも意味している。
(もっともこのあたりは経験値の足りていないことはない者にもあろう話かと)
この初校で、わたしは、何首か削って、何首か新しいのを載せた。いくらか歌の並びを変えたところもある。
出版社のご担当者様、ひいては印刷所の方にご迷惑になることを懸念した(かなり懸念した)が、そうした数を正確に記憶していないが、五首や六首の増減、順の入れ替え程度は、問題なかった。
小心者のわたしは、初校に上の手を加えるにあたって、ご担当者様に許可をいただくメールまでお送りしたほどだ。
お返事はこのような趣旨だった。
印象が違って当然。せっかくの出版。出版してから後悔しないように校正を、と。
献本はいかに選定するか/そして在庫
献本先選定と配送
献本先はどうするか。結社無所属には、これもまた、見当がつかないところだった。
ながらみ書房では、いや、他社も同様のサービスはあろうが、献本先の選定から配送までのサービス(と言っても無料ではありまぜん)があって、これにのっかることにした。
自分の知人宛は、補足するまでもないが、自分でしたけれど。
発行部数は400部だったが、自分で献本する以外は全部ながらみ書房様で献本していただこうか、とも思ったが、予算の兼ね合いもあるし、たとえ反響がまったくない展開が待っていても自分で販売してみる、ということもしてみたかったので、全部を委託するまではしないことにした。
在庫保管
在庫は当然、自宅に送られるが、間取2DKのマンションでも、さして邪魔になっていない。
この場にまったく要らない自慢をするようで気がさすが、わたしと妻の住まいは、整理整頓が実に行き届いているのである。書籍の入った大きめの段ボール箱の二つや三つくらいならノープロブレムなのである。
なお、在庫保管についても、歌集完成後、ご担当者様にご説明していただいた。
出版社側で保管はできないでもないが、品質の劣化はある、と。
そりゃそうだ、と納得した。出版元に注文が殺到することでもあれば置いていただくことも意味があろう。と言うか、置いていただいた方がよかろう。が、そんな話はない出版なのである。
感謝の言葉
まったくながらみ書房様には感謝しきりである。何もわからないで不安しかなかったわたしに、至れり尽くせりのご指導をいただけた。
ありがとうございました。
ほんとうのほんとうにありがとうございました。