
目 次
心とはどんなもの
過ぎ去った時を鎖のように巻く心が映るもろい背中に(式守操)
大森静佳・選:題詠「心」より
NHK短歌の佳作に、1首、採っていただきました。
お題は、「心」である、と。
「心臓」や「中心」でアプローチすることも考えないでもありませんでした。
が、わたしは、「心」一字を表現したい。
「心臓」って何?
「中心」と言えばたとえばどんなこと?
たとえば人前で、あまりの緊張に、心臓が苦しくなることがある。
かと思えば、天才的なスピーチを披露することもある。
酒席で、あまりの緊張に、隅のそのまた隅で委縮していることがある。
かと思えば、天才的なしゃべくりで座を盛り上げることもある。
どっちもつまんない。
「心」は?
半世紀以上の時を、「心」について考えなかった日がない。
だとすれば……、
一首の完成までねばれるのではないか
心が映る目と背中

背中は、人に、心を見せてしまわないか。
たしかに目は口ほどに物を言おう。
でも、隠せる。
背中は?
背中は、心を、絶対的に隠せないものではないだろうか。
背中はもろい。
アタリマエだ。人一人の人生の心を負っている
完成までは2つのハードルがあった
どんなに心の負担があるか

1 まず上句から
どんなに心の負担があるかをいかに表現したらいいのか
(草稿)
あちこちに絆創膏を貼りつけた
ぎりぎりまではこれでいこうとしていた。
でも、本人(わたくし式守であるが)は、納得していなかった。
たしかに「心」を表現しようとしてはいるようだ。
衒われた奇もない。
納得していなかったのはなぜか、それを、どうにもうまく説明できないのであるが、要は、こうじゃないかと。
わたくし式守に、「心」は、絆創膏を貼りつけた程度ではない。
心と言えば、わたしに、もはやこうだ。
(改案)
ぐるぐると鎖を巻いているような……
もっとねばりたい
「きみの」は必要か

2 次に下句
(草稿)
心が見えるきみの背中に
きみの背中?
上句が、
あちこちに絆創膏を貼りつけた
であれば、これでもいい。
ほんとうは傷だらけで生きているきみの心が見えるよ、と。
そばにいるよ、と。
そして、ぎりぎりまでは、これでいこうとしていたのである。
でも、本人(わたくし式守であるが)は、納得していなかった。
わたしの生き方が、これを、認めていないのである。
絆創膏だらけの心が目に見えた、と。されば、追いかけてうしろからでも抱きしめよ。
次の草稿の「心」は切り捨てる
(脚下)
あちこちに絆創膏を貼りつけた心が見えるきみの背中に
完成
検討
「ぐるぐると鎖を巻いているような」を使うべきか?
待て
「ぐるぐると」よりも経過の時間が帯びているものにしたい。
(完成)
過ぎ去った時を鎖のように巻く心が映るもろい背中に
ほんとうに歌にしてみたいものでなければ、表現されたものに至らないのだ。
そして、表現しないではいられないものでなければ、そもそも完成を見ない。
仲間へ
・ほんとうに歌にしてみたいものを
・それを見極めるまでねばること
心に鎖=背に見える
そう、ただそれだけ。
以上。
歌を投稿していて、もうあきらめかけている人の参考になれば幸いです。
いっしょにいい作品を世に出せるようにがんばりましょうね。
