
目 次
小さな生活相の中で題材を探す
亡き母の肩の高さにやわらかく梅がひらくを見おろしており(式守操)
寺井龍哉・選:題詠「比」より
NHK短歌の佳作に、題詠「比」で、一首、採っていただきました。
その題を、どのように表現していいか、こうだ、とすぐに判断できたためしがない。
今回もです。
何を「比」として、それを、どのように表現していいか、やっぱり手探りしながらでした。
草稿は全く別の歌だった

(草稿)
大きさの違う袋に詰められたゴミが転がるホニャラホニャララ
仕事で、朝、マンションのゴミ出しがある。
大きな袋にスカスカのゴミ。一方に、小さな袋にギュウギュウのゴミ。
転がった。
転がる軌道、その速度は、各々、異なっていた。
なかなか完成に至らない。
草稿は完成しないでアタリマエだった
そこは、さして心の動く世界ではなかったのである。
そもそもゴミたちに、目に見える存在として、わたくし式守は、何ら不思議を抱かなかった。
数式には出来ないが、それぞれのエネルギーの働き方が異なっていることを、わたしは、すでに理解している。
「ホニャラホニャララ」に斡旋する言葉は、
そりゃそうだわな
また、軌道と速度が異なる景であるが、これを詩として読者に届ける言葉は、結局、わたしになかったのである。
生活においてもはや事務ではないものを
ゴミを詩(短歌)にするのもよかろう。
しかし、わたくし式守に、ゴミ単体は、もう実務でしかない。
ゴミが仕事であるばかりに侮蔑があれば、あるいは、そこに敬愛があれば、物語は生まれるかも知れない。
しかし……、
詩ではない
ではゴミの周辺には何もないのか
ゴミが仕事のわたしに、その生活相は小さく、行動体系は、これまた単純である。
されば、逆に見つけ易くないか。
わたしを巡る「比」が。
仕事の行き帰りに、狭いが、そこにはっきり梅の苑がある。
これだ
迷うこと2つあり

(草稿)
亡き母の肩のあたりかやわらかく梅がひらくを見おろしており
これから伸びゆく種なのか、このようなのものなのか。
十代で亡くした母の背丈くらいか。わたしはもう母の背を超えているが。
母は梅の花が好きだった。
(決定)
亡き母の肩の高さにやわらかく梅がひらくを見おろしており
ここで
1 区切った方が?
題は「比」である。
(草稿)にあるような、2句目でいったん切った方が、「比」を帯びていないか?
わからなかった。
一気に詠んでいいのか?
その効果を、わたしでは、計量することが出来なかった。
さらに
2 もっと華麗に?
「やわらかく梅がひらく」では平凡か。
梅の歌なんだからきれいな修辞じゃなきゃいけない、とか。
達人であれば、これを、もっと美しく表現できるのかも知れない。だからと言って、ここで、奇を衒ってもいられまい。
わたしにあって、それ(亡き母)は、美しいも何もない。やわらかいのだ。
それでいいではないか、とした。
ふりかえって/そして、仲間へ
・ほんとうに歌にしてみたいものを
・奇を衒うことはない
ほんとうに歌にしてみたいものでなければ、表現されたものにならない。
表現しないではいられないものでなければ、歌は、そもそも完成を見ない。
(亡き母=梅のふくらみ)
=やわらかい
そう、これだけ。
以上。
短歌を投稿していて、もうあきらめかけている人の参考になれば幸いです。
いっしょにいい作品を世に出せるようにがんばりましょうね。
