読売歌壇「こんな失恋」郷愁/たかだかほこりに難儀でこんな

清掃の仕事中に

チリトリをふわりとかわすわたぼこりいくらかあったこんな失恋(式守操)

選者:黒瀬珂欄(25.01.20)より

冬。
建物の共用通路は、端に、隅に、ほこりがよくたまる。

わたしは、清掃作業員である。
現場によっては業務用の掃除機を使うが、マンションの現場では、ほうきとチリトリを使う方が多いか。むしろその方が効率がいいのである。

清掃従事者じゃなくても経験している人は経験していようが、ほこりをチリトリにおさめるのは、そこそこ難儀するものなのである。
思い通りにならないのでむしゃくしゃすることさえある。

ということを、なぜか妙に考えこんでしまったことがあった。

この一首は、そのなぜを、ああでもないこうでもないと詠んでみたものである。

今回も、短歌を始めて、初の採用を目指している人の参考に、歌作過程のレポートを

ふわふわ

ほこりがふわふわする動きは予測が不可能であるが、でも、物理学か何かでは、説明がつくのではないか。その計算式だってどなたかとっくに導き出しているかも知れない。

が、そのようなことに思いを巡らしていたのではないのだ。

では何に?

一回や二回じゃない

チリトリにほこりを。ああ、入らない。予測不能なほこりの舞いよ。

これ、一回や二回の現象ではない。空気が乾燥する季節ともなれば、例外のない話である。
ああ、まるで……、
まるで……

これを上句に

で、何?/この思考過程は?

ここまでの思考過程、これがそのまま歌作過程になったわけであるが、歌にする目的があって始まった過程ではなかった。
歌にするためにいかなる語彙を斡旋するか、散文ではなくて韻文としてどうか、といった縛りはない中だった。

ほこりが女の人だとして、はいよ、ってチリトリに入ってくれた女の人がいるとすれば、わたしの人生では、妻くらいだったなあ、と思った。そこで。

わたしは、妻のことを、よく歌にする。
歌にするつもりなどいのに、清掃の仕事で、妻を考えてしまった。

いい歳してのろけているわけではない。ものを思考するにおいて、妻を軸にする癖がついている。しかたないのだ。

これが下句か
もっともこれをそのまま措くことはできないが

完成へ

読売歌壇「こんな失恋」郷愁/たかだかほこりに難儀でこんな

   上句に「ほこり」

代案

これだと作りこもうとして力んでいる印象を持つ

   下句に「妻くらい」

こうじゃないな。これでは歌意をのみこみにくい。
そもそもそういうテイストの思考ではなかった。これでは今の<わたし>が妻に虐げられているみたいではないか。

(まあそういう一面がなくもないわたくしたちであるが)

代案

つまり逆を言えば妻以外はわたしを相手にしなかった

しかしここで

こうした方がいいことはないか、という検討が要るか。

が、結論的に、元のままでいい、とした。
効果をわたしには衡量できないのもあるが、ふだんこんなセリフはどうしているか、ということだ。

あった、あった、失恋の一つや二つ、
って言ってないか。このように倒置法で話している方が多くないか。

元の下句の順序の方がなじめる、と判断してみた

   完成

チリトリをふわりとかわすわたぼこりいくらかあったこんな失恋(式守操)

そして、仲間へ

チェックリスト

・いかにも詩的な措辞にしないでもいい

・なんでも作りこもうとしないでいいのだ

・それって逆に言えば何なの?

ほこりを掃くのは難儀
失恋みたいなものでは

そう、内容たるや、ただそれだけ。


以上。
短歌を投稿していて、もうあきらめかけている人の参考になれば幸いです。

いっしょにいい作品を世に出せるようにがんばりましょうね。

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