
目 次
何の「降」でいくべきか

降る雨に打たれて耐える詩があるを思い出しても時給変わらず(式守操)
佐佐木定綱・選
題詠「降」より
NHK短歌佳作秀歌に、一首、採っていただきました。
「降」と言えば、わたしに、雨が「降」る景色が、まず浮かぶ。
舞台から「降」りる、という「降」もあろう。これを、人生の舞台から「降」りる、なんてところまで敷衍してしまうのも、あっていいかも。しかも、そのような主題を表現してみたい、とのモチベーションは、小さくない。
が、雨が「降」る、これを描くことにした。
雨が「降」る、これだって、どうしてどうしてこの「人生」とやらを詠むことにつなげられる見通しがあって……。
とっかかりにこんな下作業を

1 とっかかりとして
(草稿)
雨の日の屋外作業風邪をひくおそれがあるが同じ時給だ
こんな類をいくつか書き出してみた。
これが完成ではない。
とっかかり。とっかかり。
2 草稿を要約する
雨の中を働いたからとて余分にお金はもらえない
3 表現段階へ
このあたりで本格的にどう作歌するか、へと
言っていることは、上の2の趣旨とまったく同じであるが、そこに、短歌的な抒情をどう生み出したらいいか、それは表現次第、というわけである。
人は霞を食べて生きていけない

たとえば夏の猛暑。冬の極寒。
やっと春を迎えるに至っても料峭たる夜の星空の下。
屋外作業をする者は、気候、天候に適従しないことには、収入を失ってしまうのである。
風邪をひいちゃ生きてはいけないのよね
短歌なんてものの役にも立たないわね
このあたりに手をつけてみようか
雨の中なのに働く姿は詩か

自分も時にそのように働いておいてこう言っては気がさすが、誰かが雨の中を耐えて働く姿は、やはり美しい姿かと。
美徳を覚え得る光景かと。
雨の中を働くことにおいて、短歌の、なんとのんきなシロモノか
しかし、支えにはなる
(草稿2)
それが詩であるとしたって雨の中働くことに耐えかねており
(草稿1)を大幅に改稿してみた。
が、一言、のみこみにくい。
むろん、ここで、これを完成とするつもりはないが。
1 短歌で食べていけない
2 実労働が避けられない
3 だが短歌に価値はある
(草稿3)
降る雨に打たれて耐える詩があるをナンタラカンタラ時給変わらず
同時に2つを映し出す方法はないか

同時に2つを映し出すとはこういうことなのであるが、それが、わたしにもできるのかどうか
降る雨に打たれて耐える
という詩を思い出している
かつ、現に、今……、
そのような場にいる
そして……、
ナンタラカンタラ
4句目の、このナンタラカンタラ、ここに、上2つの赤字を両立し得る、かつ読み易いものをあてはめられればいい
その場でわたしは具体的に詩をどうしたのよ
どうもなにもその場はただただ詩を思い出していただけよ
おお、思い出していた、と
だったら「思い出す」これを使ってしまえば、ちゃんと両立ではないか
完成へ
(完成)
降る雨に打たれて耐える詩があるを思い出しても時給変わらず
詩は金に直結しない
だからこそ雨に耐える姿は詩になるのではないか
だから雨に耐える時に人は詩を必要とするのでは
そして、仲間へ
・詩を思い出すイコールその詩と同じ状況下だからと解釈してもらえる
・詩を思い出す、そのことに、美的修辞を必要としない
・構造は単純である
詩は無力である
≠詩は無益である
そうそう、ただただそのように思った。そして、それだけの話。
今回のレポートは以上です。
短歌を投稿していて、もうあきらめかけている人の参考になれば幸いです。
いっしょにいい作品を世に出せるようにがんばりましょうね。
