読売歌壇「汗は光る」表現したいポイントの補強にこだわった

労働の汗に価値を置く表現をしたい

南米の人の背中に休憩後北半球の汗は光るも(式守操)

選者:黒瀬 珂瀾(22.09.19)より

実景である。

美しいと思った。感じ入ることがいくらかあった。
これを短歌にしてみたい、と思った。

今回も、短歌を始めて、初の採用を目指している人の参考に、歌作過程のレポートを

働く姿の汗の役割

読売歌壇「汗は光る」で表現のこだわりにメリハリをつけた

わたしは、清掃作業員であるが、同じガテン系でも、この「南米の人」が任されている仕事より肉体的負荷はない。

そして、この「南米の人」は、この国に出稼ぎに来ていて、母国の家族に送金しているお立場でもある。わたしとは人生の条件が根本から異なっているのだ。

しかし、自分の現場で工事があって、そこで働いている人の姿に汗を見ると、自身の労働の価値が可視化されたように思えることがある。

その双の腕は、筋肉に、隆々たるものがある。
汗が光る。ここに言葉はない。
しかし、訴えるのである。何かを説くのである。
その説くとはたとえば、働くことは尊く、生きていることに価値を生むことであるが。

表現するこだわりにメリハリをつけてみる

日本の汗であること

ここはどう表現する?

ただただここは外国ですと?

飛行機で1日かかるとか?

ここは北半球だもんなあ

あ、
これでいこうか


背中に汗があること

「背」に背としたのは演出上の景ではない。「腕」や「額」に「汗」を見たのではない。それは、たしかに「背に光」だった。

汗は流れていると?

どのようにかだが

要は光っていたんだが

あ、
これでいこうか


「も」を添える

「汗は光る」は字足らずでは?

「も」を添えてみたい

詠嘆の終助詞「も」を?

口語短歌だぞ、これ

口語短歌に「も」があっても
致命的瑕疵ではあるまい

そこらへんは短歌だから、と判断する。

完成へ

(完成)

南米の人の背中に休憩後北半球の汗は光るも

完成形をこう改めて読み返してみると、時間経過を追っている印象が、なくもない。が、短歌性を損なってはいまい。

休憩が終わるやいなや背には汗の、一首全体が、その修辞である、と判断する。

そして、仲間へ

チェックリスト

・納得できる表現が自然発生するまで考え抜く

・あらゆるポイントに力まないで、ポイントによっては、あえて軽く流してみる
(=メリハリ)

・構造はいつもの例で単純で足りる

南米人が日本で
=汗を流して働く

そう、ただこれだけのこと。


以上。
短歌を投稿していて、もうあきらめかけている人の参考になれば幸いです。
いっしょにいい作品を世に出せるようにがんばりましょうね。

読売歌壇「汗は光る」で表現のこだわりにメリハリをつけた

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