
目 次
思いをコントロールできるだろうか
叫ぶほど痛い注射と言っていた女医がなかなか呼んでくれない(式守操)
佐佐木頼綱・選
題詠「痛い」より
MHK短歌の佳作に一首、採っていただきました。
「痛い」体験であれば、その数は、人よりも多くある(倒錯した)自負がある。
中高年だから時の経過に伴って増えたのではない。
若い時分にすでにして、頭が痛いの、肩が痛いの、痛い以外の体感はなかったかのごとくだった。
また、心が痛い、そういう系統の「痛い」もあろう。
「痛い」に思うことは、わたしに、少なくない。
それだけに、その思いを、ちゃんとコントロールして言葉にできるのか。ましてや短歌にまでもっていけるのか。
そのあたりがまず最初のハードルでした。
肛門周囲膿瘍
今年、最も痛かった体験が、肛門周囲膿瘍である。
この時のことを詠んでみようか、となったのであるが。
肛門周囲膿瘍とは、肛門の周囲に膿がたまり赤く腫れ上がる病気
(中略)
肛門周囲に存在する肛門陰窩と呼ばれる部位から細菌が入り込み感染を起こすことを原因として発症します。治療では、肛門の皮膚周囲で赤く腫れ上がっている場所を切開し、中に溜まった膿を出します。
医療機関に行くまでも激痛があったが、切開排膿をする時の注射の痛かったことと言ったら。
自分史ワースト3の痛さだった。
叫んだ。
この叫び声に迫るだけの表現はできそうもない。
タイミングをずらしてみよう

叫ぶほど痛い注射をしますね、
そう言った女医が、診察室を中座した。
待たされた。
こわいよ~
必ず訪れる痛みとは恐怖以外の何物でもない。
待つほどに恐怖は増幅するものらしい。
これにしてみよう
痛かった瞬間を詠むわけではない、ということである
注射する瞬間よりも注射するまでが恐怖
(草稿)
叫ぶほど痛い注射と言って出た女医がなかなか戻ってくれない
が、これを決定とはしなかった。
「女医」の時間経過を追っているが、それでは、<わたし>の内も、その時間経過を追ってみただけ、という印象が拭えない。
もっとねばってみる必要があるようだ
医師の言葉をそのままいただく

(草稿)
ホニャラララホニャラララララ待たされるほどにこわいは針の先端
といった類を、当初、いくつか書き出してみた。これはほんの一例だ。
こういうことじゃないんだよな~
その何が恐怖だった、どこが恐怖だった
そこをもっとおさえたいのである
(決定)
叫ぶほど痛い注射と言っていた女医がなかなか呼んでくれない
ふりかえって/そして、仲間へ
・体験したことの直截的な描写はしない。
・詠むタイミングをずらしてみる。
・例によって構造は単純で足りる。
ギャーと叫んだ、そのことを詠まないことには、リアリティのある短歌にならないわけでもあるまい。
2 タイミングをすらしていいむしろさっさと刺してくれ、のそこを詠んだっていいのではないか。
痛いと言っていた注射
=ひたすら待たされた
そう、要はそれだけの話に着地した。
以上。
短歌を投稿していて、もうあきらめかけている人の参考になれば幸いです。
いっしょにいい作品を世に出せるようにがんばりましょうね。
