C子「とんとん元気に」投稿歌人必読米川千嘉子名著のご案内

子どもに教わる

階段をとんとん元気に上がりゆく待ち合わせのなき北大路駅(C子)

三省堂
『親子で楽しむこども短歌教室』
(短歌を作ってみよう!)より

米川千嘉子の編・著である。
すげーぞ、これ。
一生もんよ。

C子ちゃんのCは、ご本人の千嘉子のCからか。
歌人の米川千嘉子が、C子ちゃんなる子どもになって、C子ちゃんは、十首の短歌をつくったのである。

これは、わたくし式守に、裨益したばかりか、娯楽の書としても再読に耐える一冊である。

閲覧注意……?

まずお手本がある。

まなぶたに指あててをりあたたかき地球儀のやうに丸みの動く(横山未来子)

さすがはプロ。

でも、今回は、こっちの方じゃない。
C子ちゃん。

まなぶたに指あててをりぐりぐりとわたしの目玉動いているよ(C子)

C子ちゃんていくつだ?
「親子で楽しむ」ための本とある。
されば小学生といったところか。

(米川千嘉子・評)
C子さんのように、ただまなぶたの下で目玉がぐりぐり動いている、というだけでは、当たり前すぎて面白くありません。

面白くありません

子ども相手でも容赦をしないのである、米川千嘉子は。
元々は米川千嘉子ご本人であるが。
でも、C子ちゃんはすでにしてC子ちゃんなる個として存在している。

おっかなくてふるえてしまうなあ

カタカタカタカタ

この『親子で楽しむ短歌教室』の(短歌を作ってみよう!)には、こんなのがいくつもあるのである。
才能のなさに絶望している人は、とどめをさされるな。

読まない方がいい?
いいえ、むしろ読むべきです。
才能がないんだな、おれ、
ぬぁんて言っている人の、どこがどうダメか、よくわかるであろう。

だからと言って、一読して、うまい歌い手に直結するわけでもないが。

C子ちゃんの情熱

それにしてもC子ちゃんてば、その短歌は、これもこれもと何かを欠いてしまうのである。
あたくし操ちゃんと同じタイプですな。

階段をとんとん元気に上がりゆく待ち合わせのなき北大路駅(C子)

これがお手本だとこうなる。

階段を二段跳びして上がりゆく待ち合わせのなき北大路駅(梅内美華子)

いい歌だよなあ。
わかりやすくってかつ心の奥深くを届けてくれる。
でも、今回は、こっちの方じゃない。
C子ちゃん。

(米川千嘉子・評)
「とんとん元気に」というのが少し平凡な印象です。

平凡な印象です

ああ、こっぱみじん。
ほめてのばす、なんてことはしないのである、米川千嘉子は。

おっかなくてふるえてしまうなあ

カタカタカタカタ

されど、ここでの、C子ちゃんのエライことと言ったら。

C子ちゃんは、十首も提出している。
提出する都度、必ず否定された。
でも、出詠を続けているではないか。

なるほど「違う形」なのである

この本の(短歌を作ってみよう!)は、米川千嘉子に、こんな目的があった。

すぐれた短歌の表現が、もし違う形だったらどのように印象や感動が違ってくるのか、原作とくらべてもらうための短歌を「C子さん」の作品として創作して並べてみました。

『親子で楽しむこども短歌教室』
(短歌を作ってみよう!)より

米川千嘉子とすれば、逆に難しかったんじゃないのか、「違う形」って。それを「創作」するのって。
「違う形」とは言いも言ったりで、要は、駄作のことだもんなあ。

おれだったら楽だけどね。
草稿はもちろんであるが、完成作品が、駄作だからだ。
何だったら次の機会はおれの短歌を使ってくれてもいいっす。

余談・穂村弘の「改悪例」との異同

穂村弘の著作によく「改悪例」が載っていて、引用歌のよさがなるほど一目瞭然となる仕掛けだ。

が、穂村弘のそれと米川千嘉子のこれは、似て非なるものかと。

改悪例の作者は穂村弘である。
が、この一冊の「違う形」は、あくまでC子ちゃんの作品である。

どっちのがいいとかおもしろいとかっちゅう話ではありません。

C子ちゃんは、輪郭を持ってしまったのである。
まだ少女にしてここに短歌へのおもいを包蔵してもいるのである。

もっと読みたいなあ。
C子ちゃんの短歌熱。
C子ちゃんが物語になってくれないかなあ。
大人になったら結社は「かりん」かなあ。
「かばん」だったりして。

これからの推敲

推敲を、わたくし式守も、していないわけではない。

推敲で、その一首を、やすりがけをするように磨いてはいるが、だからと言って、大してよくなってもいないのである。
コンマ1秒でできた、ひらめきだけの原型の方が採用されて、うれしくもきょとんとなることがある。

推敲では、そもそも「形」を変えてしまう、と考えて試みるようだ。
上手に作り直せる人はなべてそうなさっておいでなんだろうか。

わたくし式守に、推敲で、「違う形」を、なんて思考回路がなかった。

そうか、推敲とは、ああ、そうか、そうなのか。
そういうことだったのか。

またしても徒労。
あ、いや、誰だって徒労の果てにものを会得している。

しかし、わたしの場合は、度し難いまでに徒労を繰り返す人生なのである。

どう考えて推敲するか、そんなことに至るまででも、これだけの時間がかかってしまう。

C子ちゃん、がんばれ。
がんばるっす、おれも。

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