短歌で読者を目撃者にする/カメラワーク/阪森郁代さんより

目安: 約2分

単なる公園の説明ではない

まつすぐに伸びて縦横シンメトリーこの公園は薔薇の領域(阪森郁代)

ながらみ書房『短歌往来』
2026年5月号
「自然詠を詠む・撮る・描く
(大阪市北区)」
(流れゆくのみ)より

大阪市北区で、バラ園があって、シンメトリーな配置で設計されている。
となると、ここは、中之島公園であろう。

一読すると、この一首は、短歌の体裁で中之島公園を説明しているように読めなくない。されど、説明文ではないのである。

説明的を超えて詩的に響くのはなぜ。

ということについて以下

「領域」で主客逆転

「この公園は薔薇の領域」である、と。
まず、ここである。

作者の阪森郁代さんは、
「この公園は薔薇咲きほこる」とはなさらなかった。

「咲きほこる」でもいいっちゃあいいが、つまらないですよね、これ。
バラの名所なのね、それでおしまいだ。

一方の「領域」だったらどうよ、というこですよ。
「領域」だよ、「領域」。薔薇がそう宣言しているみたいではないか。
人間が設計したここに、もはや薔薇側の、人間への宣言とも思えないか。

「シンメトリー」で異空間化

「縦横シンメトリー」と。
短歌には少し硬質だ。加えて無機質だ。
が、「シンメトリー」によって、読者は、日常的な風景からどこか遠くの異国へ、美しく冷徹に管理された別世界へ連れて行かれる感を覚えないか。

事実、中之島公園は、ヨーロッパの整形式庭園を模して設計されている。

説明的どころか、詩的ムードが、筆者の脳内に生み出されたのだ。

「縦横」から「薔薇」へ/ 直線から円へ

筆者(わたくし式守)は、この歌に、要は、カメラワークがある、そんな主張をしたいのである。

短歌で読者を目撃者にする/カメラワーク/阪森郁代さんより

まつすぐに伸びて縦横シンメトリーこの公園は薔薇の領域

パースの効いた、直線的で、また人工的な広がりのカメラワークを思えませんか、ということ。

その直線の交わる中心に、薔薇が、濃密に咲いていますよね。
薔薇はほぼ円形である。

見事な対比がここにある。

直線的な冷たく無機質な構造に薔薇と言う華やかで有機的な生命の対比は、阪森郁代さんの手によって説明されたものではない。筆者(わたくし式守)も、この対比の目撃者にするものだったのだ。

筆者も
こんな歌を作りたい
なんとかして
作ってみたい

リンク