
目 次
幾重にも魅力がある理由は
廃校を地球史研究所にすると街より来たるは元教授とふ(野上洋子)
本阿弥書店『花の村』
(落穂ひろひ)より
幾重にも魅力がある歌だと思った。
廃校の校舎が無駄にならないとか、元教授の人生はまだまだであるとか、好感を持ったことにあれこれ思い当たることがないでもない。
が、それ以外にもまだ魅力がありそうで……。
で、それは何。
何?
「廃校の有効活用」や「元教授の新たな人生」といった背景以上に、作者・野上洋子さんがそれを意図したかどうかはわからないが、好きにならないではいられない仕掛けがあるような気がする。
わたしもこんな歌を作りたい
そのようなことを以下……
ダイナミックに時間軸が歪む
「廃校」という、その土地の記憶を刻んだ場所が、「地球史」という数億年単位の壮大なスケールに塗り替えられた。この時間の跳躍。
外観の変化ではない。内在する時間軸が急変したこと。
かつてそこには子供たちがいた。そこは、日常の場だった。
それが、突如として恐竜や地層を思う時空に変貌を遂げたのである。
叙事詩の始まり/「街より来たるは」
「街より来たるは」の4句目の抜群に効果的であること。
今からいいドラマが始まるぞ、と言いたくなるムード。
その「廃校」は静まり返っていた筈だ。ここに老賢者が来た。まるでここが選び抜かれた場所であるように。
絶妙な距離感/「とふ」
<わたし>であり作者の野上洋子さんは、「元教授だ」と断定してはいない。「元教授とふ」と。
なんと心憎い語彙の斡旋。
元廃校に街から来た元教授たち、と。
知ってみて、それは、想定を超えたものだったのだろう。
さびしさと再生の希望が
読み返す。
廃校を地球史研究所にすると街より来たるは元教授とふ

そこが「廃校」と聞くと、人は、何の縁もなかったのに微量のさびしさを持つ。
過疎化とか少子化とか、社会問題としてではない。未来と言う時間がたっぷりあった筈の時空が失われたことに。
が、元教授たちが地球史研究所へ向かう姿にも未来があったのである。おそらく高齢者と思って間違いあるまい。なのに未来が。
つまりこうか。
未来がある子どもたちが消えて、未来の短い高齢者が、ここを、再生させてくれる。これからその物語が始まる。
利害を超えて心に深く響く物語が。


