
目 次
「短歌ください」について
『ダ・ヴィンチ』の短歌応募コーナー。
【選者】
穂村弘(1名)
掲載日
『ダ・ヴィンチ』発売の毎月6日
(6日が日曜祝日であれば前日に繰り上げられる)
自由詠を含めて13首から15首の掲載
(毎月一定の掲載数ではない)
掲載までのサイクル
次回募集の題の告知
『ダ・ヴィンチ』の短歌ください応募コーナーで毎月1日、その月に募集の題が発表される。
(『ダ・ヴィンチ』の短歌くださいの誌上でも発表されます)
掲載までのサイクル
月末で締めて、翌々月の号に掲載される、というサイクル
自由詠
自由詠も随時受付
<ただし、投稿→掲載までのサイクルは、上に沿っている>
書籍化されます
連載原稿は書籍化されます。
すなわち採用短歌が書籍化されたもので読まれる機会を得られます。
「短歌ください」に掲載されました
自由詠
お化粧もまたするといい点滴がいくらかなんて気にしないでね
評●奥さんか恋人が病気なのでしょうか。歌の背景を正確には把握できない。でも、リアルな切迫感の中に愛情を感じます。
手が痛い母のおにぎり遠足でいったんぎゅっとしてから食べた
評●<私>の「遠足」のために、「手が痛い」のを我慢して、お母さんは「おにぎり」を作ってくれたんだろう。でも、握りが甘かったから、食べる前に「いったんぎゅっとしてから食べた」という思い出。作中に喜怒哀楽を示す言葉を敢えて入れず、ただ「ぎゅっ」に心をこめたところがいい。
題詠
「贈り物」
いなかから「ストロベリーを送ります」じいちゃんいいよいちごでいいよ
評●都会への贈り物だから「ストロベリー」と云い換えた「じいちゃん」の可愛さと切なさ。
「京都」
日野富子っていたんだよ中学の同級生の話じゃなくて
評●「歴史上の有名人なのに、日野富子は、なぜこんなに平凡な名前なのか」との作者コメントあり。その気持ちを「中学の同級生」と表現したところが面白い。確かになんとなくそんな感じ。
「スポーツ」
独身の四十男が妹と雪合戦をする夜もある
評●そうか、「雪合戦」もスポーツの一種だったのか。その光景には胸が痛むような純粋さがありますね。
「おにぎり」
母の手をちょっと離れておにぎりが空中にある時間があった
評●目に浮かびます。「おにぎり」が純粋な存在として空中にある、その一瞬の不思議な眩しさ。
「舌」
ガソリンがとびこんできたぼくの目をぐりぐりなめた舌はまだある
評●「父は咄嗟に、わたしの目を指でひろげて、眼球に舌を押し付けた」という作者のコメントがありました。応急処置ですね。その人がまだ生きていることを「舌はまだある」と表現したところがいい。
「選挙」
投票後ポスター見るは昼食後食べたサンプル見てみるに似る
評●もう食べちゃったんだから見ても仕方ないのに、なんとなく見てしまうことがある。やっぱりタンタンメンにすればよかったかな、とか。