
目 次
サンダルとウインナー

生きているだけでふたたび夏は来て抜け殻に似た棚のサンダル(柳原恵津子)
左右社
『水張田の季節』
(花に額ずく)より
「生きているだけで」と。
微量の焦燥がうかがえる。
<わたし>は、その「生きている」ことに、迂闊な女性ではないようだ。
が、過去の信条が空っぽの抜け殻が目に入った。
と、わたくし式守は読んだ。
抜け殻にふさわしく、サンダルは、ほれ、棚に静止しているではないか。
ああサンダル
では永続しているものはないのか。
ウインナーは焦げたくらいが好みなり誰の暮らしも羨んでいず(花に額ずく)
羨んでいず?
羨んでいず。
過去の信条を棚のサンダルに置き換える<わたし>は、焦げたくらいのウインナーに、生きている日々の価値を発見した。
と、わたくし式守は読んだ。
おお
ウインナー
時計を励ます

来し道を来しそのままに折り返す馬酔木の実など目印にして(夏風邪)
「目印」は地にあるらしい。歩いてきた道に目印がある。
人は、過ぎ来た目印を、すぐ見失ってしまう。
が、「馬酔木の実」を、<わたし>は、それは何度も振り返って生きてきたのではないか。
かがやきで滴る満月のようにまるく不安も成就するとは(欲の煮くずし方)
「満月のように」と。
それだけ一朝一夕では成就しない人生を、柳原恵津子なる<わたし>は、選択したのだろう。
結句が胸を突き上げる。
ことに「とは」の2音の自問自答に、わたくし式守は、しばらくうつむく。
エンジンを噴かす車を待たせおり昨日のままの鞄をつかむ(夏の道)
講義動画でしゃべるわたしはお化粧をしてなかったり徹夜だったり(花に額ずく)
お仕事を、柳原恵津子は、<わたし>は、このようになさっておいでである。
頭が下がる。
頭が下がる?
頭が下がるとは、この多忙な人生からどこか引き下がったところに身を隠して、それを正当化するようなことを、<わたし>は、なさらないからである。
歌集中、そうとも読めるものが、一首もない。
ほんとうにないか。
ない
怒(いか)りゆすりほったらかして夜を手に入れる積ん読の論文のため(花に額ずく)
猫が眠る夫が書を読む遅れがちなわれの時計を励ましながら(夏の道)
多忙であることに抵抗を試みておいでだ。
しかし、このあたりで、多忙である隙間に、多忙に抵抗するよりどころが見えてくる。
<わたし>にご家庭というものがあった。
ようやく家庭の人となる

苛立ちをパンプスのごとく響かせて暮らせばひとりきりの昼食(夏風邪)
ひとりでおとなしくしていたのではない。
おそらく仕事があった。仕事の時間を確保するために家事も急いだのではないか。
自分がひとりでいたことを発見したのはその果てだった。
さればこんな歌も生まれるようだ。
ぶん殴るように暮らしたこの家の押し入れの底いを拭いてゆく(夏風邪)
床掃除だけくやしいがあきらめて駅へ自転車をとばす朝(モノレール)
ご家庭内の体感を「ぶん殴るように暮らした」と表現するのである。
また、「床掃除」であるが、床掃除くらいいいではないか、と言っては、<わたし>の「くやしい」お心を、その人生までも穢してしまいそうだ。
手のひらにむすべど水は逃ぐるもの ようやく家庭の人となる春(弥生朔日)
キッチンで水仕事でもなさっておいでの場面か。
柳原恵津子の歌の資質で、わたくし式守が愛するのは、このような一筆書きのようなスケッチで人間の美質がありありと顕れるところである。
この人生に、<わたし>は、仕事を捨てられなかった。
強制されたものではない。
ご本人が決断したことなのである。
この歌集『水張田の季節』に、柳原恵津子は、こんな歌も載せている。
彼岸此岸わかれて立てばそれはもう仕事が好きだったわれが残る(春の山)
「わかれて立」ったことがどれだけあったか。
そこで進退のやましさにどれだけ身を揉まれたことか。
先の「ようやく」であるが、ここでこの措辞は、短歌内生命体としても、実人生でもすばらしいの一言に尽きる。
<わたし>に、家庭は家庭で、わが身に戻れる空間だったのである。
でも、ではそこはどんな家庭?
水張田の季節

いだく水うろこのように輝いてまっただ中の水張田の季節(水張田の季節)
歌集のタイトルは、この一首から採られた。
それぞれの寝息で眠るこの子らは野から生まれた二枚の棚田(水張田の季節)
ああ、<わたし>は、その人生に、娘たちを得ていた。
娘たちは、美しい自然の懐に抱かれているのである。
だいすきと何回も言うおさなごの胸に額をこすらせながら(ある朝ある夕)
離れれば体がしんと冷えるよう子は羽衣じゃないというのに(フーコーの振り子)
背中へと触れるむすめの身熱が大人のそれにかわる真昼間(春の山)
娘たちの体温で、<わたし>は、その精妙な感官を通して、この人生に、小さくない力を得るのである。
力を得れば得るほどに、その愛は、サイズを計れるものではなくなる。
それはたとえば、ほれ、この一首のような。
胎という冥府ちいさし抱きついた君を入れずに抱きかえすのみ(モノレール)
目にかかる前髪

目にかかる前髪除けて草摘んですこしずつ知る吾子の真昼間(ハッピーマンデー、そして火曜日)
前髪をぱつんと切ればぴかぴかの桃のようなる額がわらう(同)
視野角がわれにあること子の髪を眺めてつぎにひかりを眺む(春の山)
娘たちは、その存在が「ぴかぴか」で、<わたし>は、娘たちの「ひかり」を慈しむ。
「前髪をぱつんと切」る先に、家庭が、また進化を遂げたかにも印象される。
だから「ひかり」は生まれる。生まれないわけがない。
そのように育てた。そのように愛した。
家は進化した

燃えさかる一点をめぐる星
順調というお告げなり二階からゆたけくひびく夫のいびきは(春の花殻、夏の蕾)
喉みせてサラダボウルの春雨を夫が食べきる今日のおわりに(同)
ニッポンのお父さんというのはなぜまたこんなに油断だらけなんだ。
が、<わたし>は、ここに、不快感を抱いてはいまい。
(あ、いや、不快感しかないのを実は詠んだものなのかも知れないが)
「順調」に、<わたし>は、安堵していないか。
「今日のおわり」に安堵していないか。
安堵
夫婦の歴史があってしか詠まれ得ない二首である。

そして
おやすみ、と書斎へ向かうこの人も燃えさかる一点をめぐる星(ある朝ある夕)
夫は、星になりおおせた。
いちばん愛が得意なわれ

いくらでも出る正論は食卓を家族に拭かせることすらできず(ログイン)
全員が今日も無事だと疑わぬ顔だね 昼のランプもきれい(同)
暴言を放った舌でじんわりとドロップ溶かすキッチンでひとり(同)
アタリマエであるが、何も<わたし>は、家のことを嬉々として独占したいわけではないのである。
結局、自分ですることになるのである。
ここに不合理を覚えるくらいないわけないではないか。
暴言の一つも放たないことには身がもつまい。
されど
じゃがいもと人参の皮むきながらカレーをシチューに変更は、できる(欲の煮くずし方)
あたかも家のことの決定権は<わたし>こそが握っているかである。
柳原恵津子さんご本人には不謹慎であるが、
また
仕事のあと大根を煮るこの家でいちばん愛が得意なわれが(ログイン)
これは深読みになるだろうか。どうだろう。
「大根を煮る」先に、家族が、共々に互いの姿を味わう光景が目に見えるのであるが。
家庭を営めば自ずと涌き出ずる憂いや笑いを目のあたりにする。
この家で、<わたし>は、最高権力者にも印象される。
「いちばん愛が得意なわれ」なれば、その称号は、手に入れるだけの資格も権利もあろう。
柳原恵津子さんご本人には不謹慎であるが、
座礁したままの過ぎゆきの

座礁したままの過ぎゆきのせいなのか誰かをうまく叱れぬわけは(春の山)
遠からずちいさき庭を巣立つ子にベーコンエッグ焼いて職場へ(cards)
わたくし式守は、<わたし>の最高権力者(か、どうかはわからないが)のお姿もいい(たのしい)が、この二首にある負い目に、母として娘への健全な負い目に膝を屈する者である。
柳原恵津子なる<わたし>は、仕事を捨てられなかったし、また、仕事との両立に苦しんでもおられた。
そのあたりは、ほれ、このように詠まれている。
彼岸此岸わかれて立てばそれはもう仕事が好きだったわれが残る(春の山)
これは既に引いた一首。
もう一首これも。
どうであれ卵の中は黄身白身そういう岐路だった、と言ってみる(弥生朔日)
ここで、柳原恵津子は、世上どうとでもなる下手な言い訳など歌にしていない。
だから負い目を持てる。
だからその負い目は健全なのである。
とうに年の十倍ほどは傷ついた君に命のかぎり添うから(春の山)
おまえより私が優れている点をさがすおまえの手を引くのに(モノレール)
母として娘への愛を、柳原恵津子は、おりおり計量しておいでだ。
足らざるを補うことをご自分に課してもおいでだ。
されど、その完うへの姿勢は、仕事の完成への情熱とは質が異なる。
校正を求めるメール一日中とどき謝るうちに夜なり(フーコーの振り子)
お化粧のように自分の論を読み論に紅差し先生を待つ(夏風邪)
仕事と家庭の描き分けもまた、この歌集『水張田の季節』の圧倒的な魅力である
静かすぎる部屋

母である矜持が根絶やしとなった身体を季節として差し出す(ある朝ある夕)
病に冒されたようだ。
察するに余りある。言葉もない。
<わたし>は、家庭でも、仕事でも、その人生の波に負けまいと生きている。
本人評価はいざ知らず、事実、そう成し遂げてもおいでだ。
が、病の身に、娘たちへの不足は、許されざることとなった。
たまにはいいではないか、とはとても言えない。
だが、世の病ある母たちよ、妻たちよ、女性たちよ。
過失ではない。
それは過失ではないんだ。
居残りをするとはこんなつまなさ本をひらくが静かすぎる部屋(ある朝ある夕)
柳原恵津子は、病ある身を置くそこを、「静かすぎる部屋」と表現した。
事実、そのような体感あっての表現であろうか。
が、この家庭そのものがまた、柳原恵津子の表現だったのではないか。
「居残り」を「静かすぎる」までにしたのは、もちろん柳原恵津子お一人の力ではなかろう。また、それは、完成形から逆算して手を打ってきた意識的なものでもないかと。
が、家庭という愛の柱が、『水張田の季節』には、根強く立てられていないか。
仕事は仕事で、その人生の局地戦だった。
人生など迷いの連続なのである。また、進退のやましさは、この人生に回避できるものではない。
柳原恵津子は、そのおりおりに弥縫の方法を用いることがない。
ここまで引いた歌を読むだけでも、対仕事の、そのおりおりに理性は失っていないではないか。
そして、主戦場の家庭。家庭はどうだった。
ここにある『水張田の季節』は、もはや一季節ではない。それはもう、永遠のものである。
人生の事業に、仕事が一方にあって、その身は疲弊しようと、いつまでも新鮮な感度は失われなかった。
柳原恵津子は、間違っていなかった。
間違っていなかった。
リンク
柳原恵津子さんは、日本語史の研究をなさっておられます。「柳原恵津子・論文リスト」は、その論文を、全てではありませんが、一部は、PDFで読むことができます。このような地道な研究があって、歴史の実態が史料で解明されることの不明を愧じました。