
目 次
悲運の流れに任されて
若い花々が、悲運の流れに任される。
『キリンの子』鳥居歌集である。よく売れた。
話題の鳥居歌集『キリンの子』について。その生い立ちの壮絶さを先に情報として得ていた私は、少し身構えていたのだが、
(中略)
私はこの歌集から外枠的な物語を感じなかった。
セーラー服を着た歌人として知られる。両親の離婚、母の死、養護施設での虐待、ホームレス生活を体験したのち、短歌を独学で学んだ。
短歌の世界の外にも知られること
短歌なんて読まない人にも、歌人・鳥居は、よく知られる存在になったわけだ。
ああ、まずい書き方かなあ、これだと。
たとえば穂村弘。
短歌の世界の外にも名が知られた歌人である。
鳥居もまた、ということである。
ただ、鳥居はそこで、身の不幸とセットになって知られた。
短歌がただ短歌として読まれない。
ここは正確を期したいところ。屋上屋を架すようで気がさすが、さらに。
その歌人の属性が歌集中の短歌群とセットになるのを、わたしは、悪とは思わない。
が、まず不幸ありきでは、そこにある短歌たちが気の毒であろう。
歌人・花山周子の発信するものに、わたくし式守は、絶大な信頼を置いている。
先の引用に、わたしは、膝を叩いた。
不幸に克って得た教養?

わたくし式守において『キリンの子』鳥居歌集で最も感銘したのは、ここにある特別な(たしかに特別な)経験のなかで獲得された教養だった。
その教養が、深刻に、頭に打ち込まれることだった。
「外枠的な物語」などいつしか時の経過によって風化する。
されど、『キリンの子』にある「教養」は、永遠に語り継がれる価値がある。
歌人・鳥居は、自分をしつけた。
自分をしつけて、ご自分の悲運は、これを財産として、これをいかに運用するか、短歌の世界の外に発信できるまでにした。
2015年、「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」超党派議員連盟へ意見提出
2015年、文科省が形式卒業者の夜間中学校受け入れを全国の教育委員会へ通知
教養とは?
みわけかたおしえてほしい 詐欺にあい知的障害持つ人は訊く(野菜の呼吸)
さぎょうじょでわたしまいにちはたらいた40ねんかん 濡れる下睫毛(同)
そこがたとえ小さな生活相であっても、思い募る無念と美徳を覚えられるのである。
灰色の空見上げればゆらゆらと死んだ眼に似た十二月の雪(職業訓練校)
鳥居の天はまだ、たしかな光がなかった。
鳥居の悲運などただ見下ろしているだけの、それは、さみしい天だった。
どんなにおつらかったことか。
これまでほんとうにおつかれさまでした。
冬/春を遠くに生きるしかなく

苛酷な状況にあれば、世間は、そこに同情を寄せる。
が、その世間のどこかに、同情の、何の役にも立たない地帯が、ひっそりと存在している。
全裸にて踊れと囃す先輩に囲まれながら遠く窓見る(孤児院)
先生に蹴り飛ばされて伏す床にトイレスリッパ散らばってゆく(同)
孤児院での出来事である……。
鬱勃たる胆と拍動する血潮がここであったであろうに、<わたし>は、心のどこかに氷室を用意して、そこで冷却してしまったかである。
そうしなければ
生きられなかった
孤児院にサンタクロースの服を着た市長あらわれ菓子をばらまく(同)
子たちのためのイベントではない。
「市長」のパフォーマンスである。
それは言わない約束か。
だとしても、「市長」も、よもやこれで子たちに明るい未来が描けるとは思っていまい。
帰る場所ない子供らが集まって五時のチャイムで扉が閉まる(みずいろの鉛筆)
「五時のチャイム」でここにもう入れなくなるのではない。
ここを出られなくなる。
この冬を生きる決意を持てぬまま半袖だけの服を眺める(雪の街)
友/朝になってもまた眠れなかった

カンカンと警報知らす音は鳴り続けて友は硬く丸まる(紺の制服)
硬い線路を脈打たせつつ配管をめぐらす鉄の車体近づく(同)
ぐんぐんと近づいてくる急行の灯りは鉄の暴力となり(同)
爪をかみながら読み進めた。
苦しくなるほど脈拍が乱れ打つ。
だれか
だれか、だれか
精神科待合室の自販機でお茶を買うとき誰か横切る(同)
「誰か」とはたとえば誰か。
人間であることだけは、間違いない。
自殺しないよ
いちいち来ないでよ
始発列車の通過する音うっすらとカーテン白き病室に聞く(同)
人間らしい交感を得られる「友」がいた。
その「友」が自殺したとて、鉄道機関は、生きている人々のために今日を始めるのである。
朝になってもまた眠れなかった。
母/どうか安らいでおられますように

花柄の藤籠いっぱい詰められたカラフルな薬飲みほした母(キリンの子)
冷房をいちばん強くかけ母の体はすでに死体へ移る(曲がり角)
いつまでも時間は止まる母の死は巡る私を置き去りにして(同)
「時間は止まる」ことに不思議はない。
母が死んだ。なぜ死んだ。
<わたし>は、何をした。
あるいは、何をしなかった。
結果から逆算すれば、「母の死は」、すべて<わたし>に辿り着く。
そうなの
そういうことなの
わたしがもっと
いい子でさえあれば
わたしさえ
わたしさえ
わたしさえ
夕飯を一人で片付ける母の味方は誰ひとりいない家(家はくずれた)
泣いたってよかったはずだ母はただ人参を切るごぼうを洗う(同)
このような「母」だった。
その「母」を、<わたし>は、助けられなかった。
<わたし>は、生きていてはいけない。
<わたし>のせいでみんな死ぬ。
そんなところか。
目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんのいろ(キリンの子)
天上の「母」なる人よ、
どうか安らいでおられますように。
そして、
どうかこの子を生かしてたもれ。
みずいろの色鉛筆で〇つけるこんなに長く今日も生きたよ(みずいろの色鉛筆)
雪/それは友かも母かも知れず

君が轢かれた線路にも降る牡丹雪「今夜は積もる」と誰かが話す(紺の制服)
母は今 雪のひとひら地に落ちて人に踏まれるまでを見ており(みどリの蚊帳)
<わたし>は、「雪」を凝視している。
死への気を潜めた意力は、雪の嵩を増す。
天の無情よ。
不幸のあった人にできるだけ死の追憶を誘発しない思いやりがない。
また、「雪」は、たいせつな友であるかも知れない。母であるかも知れない。
されば、「雪」は、<わたし>をすこしは落ち着かせる扶けになってくれてもよさそうなものであるが、「雪」は、無情どころか、<わたし>に天譴を下すものと化した。
あおぞらが、妙に、乾いて、紫陽花が、路に、あざやか なんで死んだの(なんで死んだの)
まこと「なんで死んだの」か。
この枷が、<わたし>の五体を、いつだって絞めつけてくるのである。
ダレカ
ダレカ
タスケテ
光/この不平等な世界にも

朝焼けを坂の上から見送れば私を遠く避ける足音(曲がり角)
涙なきを得ない成人以前の回顧である。
眠れないまま迎えた朝に、世が動きはじめても、<わたし>は、なお夜の闇を生きる。
一方で、次のような一首がある。
これも成人以前のものである。
空色のペン一本で描けるだけの空を描いてみたい昼過ぎ(職業訓練校)
ある種の人の世界では、天に、動きの迅い雲がある。
早々と太陽を見せる。かと思えば、太陽をすぐに隠す。
いまここに生命のあること自体が苦しいだけの人の世界は、黒と白の明滅が繰り返されているのである。
モウクタクタダ
次の一首をここで引いてみるのはどうだろう。
わたしの愛し抜いている一首であるが……。
海越えて来るかがやきのひと粒の光源として春のみつばち(光源)
人間は「私を遠く避ける」ものかも知れないが、この世界を、最後の最後には惜しんでおいでのごようすがある。
それでいい、と思う。それでいい。
でも……
不平等過ぎるよお
みんな
勉強しているのにい
天/光源をそして豊富な幸せを

ふいに雨止むとき傘は軽やかな風とわたしの容れものとなる(雨傘)
<わたし>の悲運をただ見下ろしているだけだった筈である。
それを、この天の業はどうだ。
世界には、一言、やさしさがあった。いや、愛があった。
美しい。
たとえ氷河の流速だとしても、この世界を、ひとりの人間を、着実に動かしているものがあった。
鳥居は、そこを、歌集に、あるいはその人生にとりこぼさない。
苦学によって社会線を出た、これが、鳥居の教養である。
人生を覆う悲運の強度に抵抗できる感性を鳥居がついに失わなかったことが、ここに、うかがえる。
鳥居に、天は、まだある。
人生はまだまだ厳しいが、これまでの厳しいとは、もう厳しいの意味合いが違う。
都度、どうか克服を。
未来に豊富な幸福を。