
目 次
まずはこんなテイストの短歌を
夜の庭を手探りしつつ摘みきたる山椒の葉に黄の花まじる(田宮朋子)
柊書房『星の供花』
(彩雲)より
「夜の庭」にあって、そこは、灯りもなかった。
「手探り」である。
ところが、「手探り」だったがために、「山椒の葉」だけでいいのを、「黄の花」もたまたま家に持ってきちゃいましたよ、と。
灯りはなかった。
それはたまたまだった

たまたまは、いいことばかりではないのである。
大根の青葉すがしき霜月を黄砂まじりの怪(け)しき雨ふる(はぜもみぢ)
せっかくの「すがしき」に、「怪(け)しき」のあることもある。
中宮寺の弥勒菩薩像に出会った時の感動を核にして
(中略)
「仏像の美」というようなものを越えて、この世界にほんの今だけ奇跡のように存在する<私>という命の甘美さ、すべての命が本質的に抱えている深いかなしみ
(中略)
それを「星」と呼ぶならば、歌は私が星に供えた花であり
(後略)柊書房『星の供花』
(あとがき)より
となると
感動に「出会った」のも、ありていに言えばたまたまか。
たまたまであるが、そこで得られたものは、サイズが巨大だった。
星の供花(くげ)いつも咲きをりかなしみの絶ゆることなきこの地球(テラ)のうへ(星の供花)
歌集のタイトルは、この一首から採られた。
隣国へひよいと飛ぶとも三十キロうへの宇宙へゆくこともなし(同)
悠久の時の流れをおもい、そして、ご自分を、「奇跡のように存在」していることをおもう。
就中、次の一首は、わたくし式守の、ことに愛している短歌である。
厩戸皇子(うまやどのみこ)のみづらをとびたてる蝶の裔(すえ)かも菜の花のうへ(同)
「菜の花のうへ」の、この「蝶」は、この国がまだ古代にあった聖徳太子の(誰もがそれをイメージする)結った髪を「とびたてる蝶の裔」ではないか、と。
中宮寺→聖徳太子→厩戸皇子?
聖徳太子とその母・穴穂部間人皇后ゆかりの尼寺
こうなると、たまたまは、もう必然ではないか
働き者

留守中の夫の部屋を掃除してついでに棚の本読みふける(感光オルゴール)
「ついでに」とあると、つい「棚の本」に気がそそられた印象がないでもないが、「掃除して」といったん切っておられる。
怠け者ではないお人柄が、さりげなく披かれた。
次のような眼差しのある短歌は、これが生み出されることに、何ら不思議はないのである。
白藤の花の妖しき香のなかにもの狂ひせる蜂もあるべし(白藤)
「妖しき香のなかにもの狂ひ」のひとつもしないと、「蜂」も、種を保存できまい。
が、これが、人間の姿だったらどうか。
「欲」というものだ
小春日の空の蜻蛉のひとつがひ意見合はぬかおのもおのも飛ぶ(はぜもみぢ)
「蜻蛉」とて相性というものがあろう。
が、これが、人間の姿だったらどうか。
流血を繰り返すことも
それぞれおのれの道がなく、守るところもない。ただ、おのれを中心にして欲をほしいままにし、互いに欺きあい、心と口とが別々になっていて誠がない。
『和英対照仏教聖典』P.101
(財)仏教伝道協会発行
田宮朋子に、いかに短歌の天分があるとて、このような短歌の扉がひらかれたのは、一に、怠け者ではなかったからではないか。
なぞりがたき軌跡

このあたりになると、次の一首も、いっそうの味読が可能になる。
なぞりがたき軌跡ゑがきて蜆蝶しろつめくさの草原を飛ぶ(<時>の草生)
人間は、「蝶」が描く軌跡のように生きられない。
そのように生きることを社会から制約されているのである。
人間は、進化の過程で、「蝶」の「軌跡」を「なぞ」れるプログラムは失った。
人間は、どの年代も、どの時代でも、その制約に苦しむ。
欲を求める。
憎しみや妬みが生まれる。
「蝶」の「軌跡」を容易に「なぞ」ることができないなかを、平易な言葉にすれば、いかに生きるべきか、人間は、問われているのではないか。
われをはぐくむ

したづみの仕事なれども仏教書校正の職われをはぐくむ(日永見舞)
たとえ「したづみ」だとしても、「校正の職」を、田宮朋子は、位階が上位の僧侶に劣らぬ研磨の道となさっておいでの心と姿を短歌に収める。
たとえば、次の一首はどうか。
ふゆごもり春めくひかり差しくれば棚の感光オルゴール鳴る(感光オルゴール)
衆生に済度の誠意を、常、捧げていなければ、「感光オルゴール」に、時の価値を、こうは置けまい。
なにをはぐくむ

草むらのつりふねさうを供花(くげ)として馬頭観音みちのべに佇つ(馬頭観音)
水面の落葉を網にすくひゆく舟あり朝のひかりのなかを(柳川の水光)
人間の文化は、時が、きれいに整理する。
春塵去って秋水に見ずの公理が、時のなかに、厳然と存在しているからである。
その公理にあっても反故にはならない価値を、田宮朋子は、短歌に、確実に収め得る。
<わたし>に遠くない「つりふねさう」も「舟」も、ここにおいて、一泓の水面に似る。
人間のこれまでの教養に鍛えぬかれた胎というものを、わたくし式守は、田宮朋子に発見できるのである。
抵抗も服従もなく

堀端の草の繁みに横たはる廃舟ありて<時>を溜めをり(柳川の水光)
愁苦の声をすくいあげるようすがうかがえて……、
月光のするどき夜は水底の鯉魚のねむりもやすからざらむ(ひかりの重さ)
天上と海底の、明暗いずれも、これに従う。
しかし
むざむざ服従はしない。
みずからをだめと思へるみづからをだめと思ひて庭に草引く(ミラクルの扉)
何の芽とおもひをりしが樹に育ちこの春えごの星花が咲く(同)
日常も、これはこれで、天地を一堂とする人生修行の床だった。
人一人に、次のような所作も、これを可能にしてくれる。
くさむらに手を差し入れて夕日影まとへるままの穂のすすきを剪る(僧侶なれば)
結句の「剪る」に戦慄を覚える。
刃のある「手」は、なめらかで、そう言ってよければ、清らかでもある。
この人生を送る地に水

ねむさうな浅むらさきの花菖蒲咲きをり朝の水路のほとり(柳川の水光)
枇杷の実のさはに灯れる家の角まがりてまたも水路に出たり(同)
この地の「水路」に眩燿を覚えて……、
家ごとに水路へくだる段ありて女の濡るる素足顕(た)ちくる(同)
「水路」が、あたかも湖のように、短歌に、美しく映しだされた。
されど
美しく映しだすにあたって、田宮朋子は、大ぶりな表現を、短歌において選択することがない。
億のかなしみに息をつける泉

ここで、この一首を、改めて引きたい。
したづみの仕事なれども仏教書校正の職われをはぐくむ(日永見舞)
「われをはぐくむ」ことの、その過程として、式守は、次の一首に価値を置く。
炎天の五月をいかにしのぎけむ梅雨湿る葉のあまがへるたち(億のかなしみ)
あまがえるがうるさくてかなわない、となるのが通例を、田宮朋子は、「炎天の五月をいかにしの」ぐか気にかけておられる。
されど、これは、「あまがえるたち」だけではなかろう。
人間たちも、一人一人に、「億のかなしみ」がある。
短歌に親しむのは、日常から離れたところでなされるが、日常も、「億のかなしみ」がある。
それを読むことで、日常の息をつけるように、田宮朋子は、泉のごとき短歌にして、これをさしだすのである。
みづからをともしびとせよ

田宮朋子の短歌の美質に、わたくし式守が憧れるのは、その人生を、常、空と地の、悠久の時のなかに置くことで得られる感受である。
空と地は何を語り合う。
人はそこで、この人生を、いかに生きるべき。
燈明が棺を照らす本堂に聞く「みづからをともしびとせよ」(日氷見舞)
釈尊はクシナガラの郊外、 シャーラ(沙羅)樹の林の中で最後の教えを説かれた。
弟子たちよ、おまえたちは、おのおの、自らを灯火とし、自らをよりどころとせよ
(後略)『和英対照仏教聖典』P.10
(財)仏教伝道協会発行
この人生に、いい歌集を得られたことに、感が極まる。
わが人生に、これは、田宮朋子におけるたまたまと同類同質であるが、しかし、田宮朋子におけるたまたま同様に必然だったと思わないでもない。
柊書房『星の供花』は、わが残りの人生を指南したが、わたくし式守は、都度、思いも深くこの書を本棚に並べるのである。
田宮朋子がご自分に課しておられる、この一穂の灯が、人々の生きているところに、なくていいものである筈がない。
この国の短歌の世界は、このような歌人もいるのである。