
目 次
きみんちのネジ
真昼間にふたり棚前にしゃがみこみ密やかに選ぶきみんちのネジ(玉井まり衣)
ながらみ書房
『しろのせいぶつ』
(Ⅱ Rちゃんへ)より
童話のようにいっしょにいるふたりなのに、<わたし>が「選ぶ」のは、「きみんちのネジ」なのであった。
童話のように純粋でのどかなふたりの姿に見えるが、<わたし>の内は、どこか切ない。
「密やかに」に、切なさが、こめられていないか。
と、読めたのだ。
筆者(わたくし式守)は、ここで、粛然と無言の緊張を持った。
ガラスはくうをしはいしてゐる

歌集『しろのせいぶつ』の<わたし>は、それが歌集中随所で見られることなのであるが、とにかくよく確かめる。
画像では陶器かガラスかわからないさはつてみても同じ固さで(Ⅰ 白い指若しくはうつは 一)
陶器であってもガラスであっても、画像である以上は、「同じ固さ」の感触しかなかろうに。
が、<わたし>が確かめるということ、実は、この程度ではないのである。
プラスチックを描いた絵とプラスチックを食ふといふ微生物を並べてみてる(Ⅰ 画家の人)
やがてこの果てに、<わたし>は、次のような真理を発見する。
中のものが透ける向かうまで透けるガラスはくうを支配してゐる(Ⅰ 白い指若しくはうつは 一)
無色によって無色が視覚化された。
手首の骨の位置を

プラスチックの光がキレイと君は言ふ 背骨は少し傾けてゐる(Ⅰ 画家の人)
やはり確かめている。
が、描かれたところの「傾けてゐる」に、文字にした以上のニュアンスが帯びていないか。
はにかんで握手をねだる君の手の手首の骨の位置をみてゐる(同)
手首の骨の位置まで確かめている。
君の手首の軟骨を噛んでみる 硬骨とは違ふ音がする(Ⅲ 白い指若しくはうつは 二)
噛んでもみるのである。
「硬骨とは違ふ音が」したそうな。軟骨は既に噛んでいるわけだ。
文学のおもしろさ/玉井まり衣
小説であろうと、短歌であろうと、その文学がおもしろいと思って、その世界に没入できるか否かは、そこにいる人間がおもしろそうかどうかにかかっている。
という考え方がわたくし式守はどうしても拭えない。
<わたし>はこれをどう考えているのか。
この人生を<わたし>はどう決めている。
で、玉井まり衣の手になる『しろのせいぶつ』の<わたし>はどうか。
こんなにおもしろそうな<わたし>はめったにいない。
こんなにおもしろうそうな<わたし>は、では、「君」とどんな関係だろう
白きベッドに

溶けだした君はまわりを伺って微妙に笑って膝と手をつく(Ⅱ 夜勤あけの人)
そそぎゐるうつはによりて変はりゆく液体でせう君の形は(Ⅰ 白い指若しくはうつは 一)
真昼の瓶に閉ぢこめられた花のやう白きベッドに坐つてゐる君(Ⅲ 白い指若しくはうつは 二)
何の喩なのか。何を表現しているのか。
わからない。
性愛の歌だろうか。
が、存外、正にこの通りのことを目にしたのかも知れない。
いずれにしても「白きベッド」の「白」が目に痛い
虹の向こう

私の背ふれてる指で君は今朝五歳の子どものみつあみをした(Ⅱ Rちゃんへ)
会えないとラインが鳴って目をそらすニベア缶の絵家族仲良し(同)
片方の口端だけを上がらせて家族と話す君の食卓(同)
よこしまな君を望んで落下して虹の向こうは雨なのだろう(同)
Rちゃんへ
(Rちゃんへ)は、この「五歳の子ども」への懺悔なのか。
深読みか。
ニベア缶の絵
「目をそらす」先にニベア缶がある。
それを目にすること少なくないからそうもなるのではないか。
そして、そこにある家族の絵に自分の不在を突きつけられる。
片方の
口端だけを
「片方の口端だけを上がらせ」ることをよく知っている自分のいないところに君はいる。
自分こそよく知っているのに、というところか。
どうだろう。
深読みか。
このあたりになるともう筆者(わたくし式守)は、爪を噛むように読み進めた。
が、その事実は、筆者(わたくし式守)に、実は、さして興味がない。
事実などどうでもいい、とは言わないが、筆者(わたくし式守)が目を離せないのは、<わたし>の切ないまでのまなざしなのである。<わたし>の内省の力である。
そして、それを、いかに表現したか。
欲求は白

絵の面ふれるがごとく君の手をなぞりてみたい欲求は白(Ⅰ 画家の人)
白。
筆者(わたくし式守)は、これを、穢れのないもの、との解釈をした。
月並みとは思う。しかし、たとえ恋に拉(ひし)がれてであろうと、好きな人と結ばれたいと願うこと自体は穢れがないのである。
だから裏切りは許されない。
だから白が黒にもなるのではないのか。
めんぼうやタオルの色はいつも白ヒトのカラダの一部を拭ふ(Ⅲ 白い指若しくはうつは 二)
「白」以外はこれを除去しないではいられない。
汚れがいちばん目立つ素材の色は白だ。
真つ黒きうつはの背後は白きかべ白きうつはの背景も白(Ⅰ 白い指若しくはうつは 一)
なんてかなしい愛の歌なんだ。
黒と白というまことにシンプルな道具立てで、読者たるこの身は、何かしらを問い詰められる緊張を強いられる。
恋にからめとられる穢れのなさと警戒は、かくして、繊細極まる言語表現でここに拮抗した。
釘四十本

こうじゃなきゃならない釘を四十本さして今日も駅へと向かう(Ⅱ ○)
この一首には不意を打たれた。
生きていれば、人は、常識は常識として駅まで向かう日常を送らなければならない。
その現実に朝な朝な心身を取り戻す義務を、大人は、負っているのである。
どうする。
どうする。
さしあたり釘が四十本ないと足りないらしい
「飼い犬になれや」と凄むような人の是非飼い犬になりたい聖夜(Ⅱ ○○)
聖夜にこう自覚した。ふだんいつでもそう考えておいでではないわけだ。
ここではもう釘四十本を必要としない
言葉など知らず劣等なサルとして側にいられたらそこは宮殿(Ⅱ ○○)
宮殿に住むのが夢と云う君に捧げるものを探す国道(同)
そこは宮殿なのである。
宮殿であれば君を独占できる。
カミナリが鳴るたびコタツに潜るなら私の口に入れてあげるよ(Ⅱ 夜勤あけの人)
綿棒で細めに延ばし飲みこめばノドから腸まで君が占領(Ⅱ Rちゃんへ)
占領しているのはむしろ<わたし>だ。
事実、ほれ、「私の口に入れてあげるよ」と。
まさか防災の歌でもあるまい。
すげーな
この著者
終りなんだね

『しろのせいぶつ』の筋書きをどうこう時系列に探ったつもりもないが、<わたし>は、やがて君との関係にピリオドを打つ。飼い犬やサルでもいい、とはいかなくなる。
右耳がふいに詰まって首をふった終わりなんだね、と君が言った(Ⅱ ◎○)
わたくしと君とのあひだのうす紙を仔ヤギのやうに反芻していゐる(Ⅲ そのやうな人)
「右耳がふいに詰まっ」た、と。
あ、その話は聞きたくない、ということか。が、聞く気になっても耳に入らないだろう。
あとはもう、「君とのあひだ」に「うす紙」のあるばかり。
<わたし>も予感はしていたのではないか。
ネギのない鍋の愚材が煮えるのをしんしんと見る さすがに今度は(Ⅱ ○)
あやふやなロマンチックは置き忘れネギを抱えてみぞれの世界(Ⅱ ◎○)
淡い未練をその人生に寄せて、<わたし>に、こんな場面も用意されていた。
たとえばこのような。
あの人の「いいこと」じゃなきや価値がない。俯向ひてゐる「良い人」の人(Ⅲ そのやうな人)
カーテンの向こかうは春だ わたくしはこちら側に住みてゐる人(同)
「静物」と言ふ名のうつは

『しろのせいぶつ』の巻頭はこんな一首である。
「静物」と言ふ名のうつはをじつとみる ほんとうにさうかうたがつてゐる(玉井まり衣)
茫と遠くを見る瞳を、この「静物」は、たちまち奪い返す力がある。
何の喩なのか。何を表現しているのか。
性愛後の(後の)歌だろうか。考え過ぎか。
わからない。
存外、いわゆるうつわ(器)をほんとうに見ていたのかも知れないが。
読み返す。
「静物」と言ふ名のうつはをじつとみる ほんとうにさうかうたがつてゐる
『しろのせいぶつ』を再び手に取ってしまえば、ついついそのまま再読することを余儀なくされる。
が、その再読で、退屈の生まれることはない。