鈴木美紀子『風のアンダースタディ』「非常口」水をとどめる

劇的な非常口の扉

海までの道を誰かに訊かれたらあの非常口を指し示すだけ(鈴木美紀子)

書肆侃侃房
(新鋭短歌シリーズ)
『風のアンダースタディ』
(風のバラード)より

この世界は、まず自分という個人がいて、この個人をめぐって環境というものがある。

が、鈴木美紀子の歌集『風のアンダースタディ』を読み返すと、その構図がゆらぐことが随所に見られて、わたくし式守は、この世界に不透明な奥行きがあることを教わる。

非常口の扉を開けると、そこはたしかに海であろうが、その海は異次元でもある。

鈴木美紀子によって、次元の均衡は破られる。鈴木美紀子任意の次元が、鈴木美紀子によって、操作可能になる。

鈴木美紀子の『風のアンダースタディ』において、次元は、鈴木美紀子に司られているのである。

鈴木美紀子の『風のアンダースタディ』は、既に一度、記事にした。

今回は、この記事の姉妹編にあたります

次元の混乱

鈴木美紀子『風のアンダースタディ』「あの非常口を」

水鳥を数えているうちひっそりとたたまれるだろうわたしの花野(風のバラード)

<わたし>をめぐる世界は、何かを求めれば何かを失う。

これはまだいいか。
人の世の真理でもある。

水飲み場のまわりの砂をきらきらと濡らしたはずのわたしはいない(海は逃げない)

<わたし>を、<わたし>をめぐる世界が、消してしまった。

身をめぐる次元の混乱。

どこか別の次元にでも移動したのか。

水で消えた

ご自分を取り巻く世界にこうも懐疑的になれるのはなぜ。

なぜ?

知りたい

わたくし式守に、鈴木美紀子は、絶えざる魅力がある。

<わたし>は消える

鈴木美紀子『風のアンダースタディ』「あの非常口を」

透き通り風景描写のように立つ待ち合わせ場所とうに過ぎても(風のバラード)

ああきみが空を見上げてるってことはもうこの世にわたしがいないってこと(無呼吸症候群)

<わたし>がここに存在していようが、ここから消え去ってしまおうが、「きみ」を忘れることはない。

相聞歌なのである。

いずれの歌にも危ういものがある。
が、誰かをあまりに愛するがゆえの危うさだろうか、これって。

その類とは思えない。
「きみ」が消えたっていいではないか。

しかし

鈴木美紀子の短歌は、「きみ」を消さない。
鈴木美紀子の短歌は、「きみ」が消える世界ではない。

世界

「きみ」が消えようが、消えなかろうが、それは、この稿では枝葉の論点である。
鈴木美紀子の生きているところはなべて秩序に安定がない。

秩序

ほんとうにないのか。

ない

<わたし>が海を選ぶ理由

鈴木美紀子『風のアンダースタディ』「あの非常口を」

待ち人が来たならそっと開かれるページに広がる海辺の描写(海は逃げない)

消えてしまった<わたし>は、ここ「海辺」に変位していたようだ。

「待ち人」はそれを知っていた。

美しいところか。

テレポーテーションする、そこが美しいところ、として、何も海辺でなくてもよかろうに。
海水浴でにぎわいがあれば、「海辺」は、必ずしも美しい景色でもあるまい。

渓谷でも草原でもいいではないか。
が、<わたし>は、何より海を選ぶのである。

鈴木美紀子の手にかかれば、俗悪になりかねない海水浴の海も、このように描かれる。

越えてくる波がはばたきそうだねと囁き合ってるライフセーバー(海は逃げない)

海はこの世界を安定させる。
鈴木美紀子に、海は、人間が人間でいられる仕組みを、保証しているかではないか。

<わたし>より世界の仕組みを表現する

鈴木美紀子『風のアンダースタディ』「あの非常口を」

先頭の一首を改めて読み返す。

海までの道を誰かに訊かれたらあの非常口を指し示すだけ

<わたし>は、今は、こちら側にいるようだ。
<わたし>が見えなくなった(別の次元の)世界と「きみ」の世界を行き来しておられるのである。

こちら側は、<わたし>が消えてしまう世界であるが、こちら側で、<わたし>は、おそらくは苛烈な生を生きていて、この「非常口」を出れば、安寧の時空(=海)があることを知っておいでなのだ。

包帯をほどいてごらんよわたくしが瘡蓋になって守ってあげる(グリンピースが残されて)

あわてなくても海は逃げないよってわらってる誰かの眠りの中のわたしは(海は逃げない)

「非常口」は、これを、自分だけの「非常口」にしないで、海=安寧の時空が必要な人あらば、ここを案内することを惜しんでいないところを、わたしは、鈴木美紀子の、かけがえのない美質だと思える。

鈴木美紀子に、海は、人間たちの未来なのだろう。
鈴木美紀子に残されている、海には、希望があるのだろう。

任意の次元

鈴木美紀子『風のアンダースタディ』「非常口」水をとどめる

鈴木美紀子なる歌人は、このような人なのである

このように世界を表現して短歌をつくるのである

次元の歪みは、鈴木美紀子の宿命だったのである

そして

鈴木美紀子は、異次元と往反する。

水飲み場のまわりの砂をきらきらと濡らしたはずのわたしはいない

これは既に引いた一首である。

水一つで移動するのである。

水一つで

「わたしはいない」となったのは、水一つをアイテムにしてであったし、また、目的あってであったわけだ。

水で

ほれ
このように

バスタブの水面をそっと揺らされて誰の夢から目覚めればいい(無呼吸症候群)

つぎつぎとひらく波紋の真ん中を見つめてはだめ帰れなくなる(風のバラード)

鈴木美紀子に海が必要なわけがここにも見えてこないか。

人間が人間でいられなくなる何か

鈴木美紀子『風のアンダースタディ』「非常口」水をとどめる

自らのいびきでぴくっと起きるときどちらの世界を選んだらいい(祈りのような)

何度でも探すのである。

何を
水を

透き通り風景描写のように立つ待ち合わせ場所とうに過ぎても

これは既に引いた一首である。

消えかかっているではないか。

水よ

もう何もあいしていないからだなり水をとどめる術を探しに(無呼吸症候群)

ご自分の「からだ」に欠落あるに、「もう何もあいしてくれない」体感しかないかの「からだ」に、鈴木美紀子はだが、ただ黙ってはいない。

水よ

かなしく水を、ひいては海を、そう人間の安寧を探している。
人間が人間でいられるために。

やがて知る。

ご自分の悲運を暗室に這わせるだけのような短歌を、鈴木美紀子は、人に読ませない。

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