
目 次
平成最高の読書体験だったのである
短歌を始めてすぐ好きになった歌人の、その第一歌集である。
どの国も、物語と言えば、男女関係の話が多くなる。
そして、それは、文芸では、小説として流通するが……。
わたしは、男女の物語を、歌集で感動できたことが新鮮だった。
人生に与えられた、与えられてしまった条件を、のみこめないものものみこんで新しい観点を獲得した過程を、その姿を、短歌で、一冊に、びしっびしっと打ち出していることが美しかった。
緩和されない悲痛があった

書肆侃侃房(新鋭短歌シリーズ)『風のアンダースタディ』の「私小説なら」の章に、次の一首がある。
「上の子が、下の子が」って言うひとの目じりの皺にふれたとしたら(鈴木美紀子)
<わたし>は、子を産めなかったのか。だとしたら結句の「したら」は肺腑を破る。
わが子がいたらそうもなるであろうほほえみはない。そう読んでみたのである。
そのように読んでみて、この人生の時間を、どんなに負い目につないで生きてきたことか、ここに隠されている苦悩に息をのむのである。
間違いなくお相手を愛しているゆえの一首であろう、と読むことができるが、されどさりげない手の動きに、霧のような不安がある。
だとすれば、よし、怯えないでいい。怯えないでいい。
しかし、「言う人」とは、夫のことか。夫とは限らない。不適切な関係のお相手かも知れないではないか。
次の一首
鈴木美紀子の『風のアンダースタディ』の初読で、わたしに、これは謎の一首だった。
口紅のついたグラスを濯ぐときわたくしだけの流刑地がある(嘘をください)
口紅をつけて、ワインだかシャンパンだかをのんだ。夫とそんな夜もたまにはあろう。何かのアニバーサリーとか。
でも、それを流しで「濯ぐ」となると、日常の居住空間においてである。そこで紅をさすのかなあ。
あえて紅をさす? 特別性を持たせるとか?
いつまでも若くいなければならい努力とか? お相手は<わたし>よりずっとお若い?
謎を残して他を読む。
グリンピースで妊娠しない

お相手の人格が高いことでは、次の二首を並べてみたい。
それならばハンデをつけてあげるよと切り落とされたあなたの翼(アンダースタディ)
あなたさえそれでいいなら…と手離したザイルが今も風に揺れてる(私小説なら)
格下相手の将棋で飛車角を落とすことかあるが、その程度の説明では足りない行いができる人らしい。
それどころではない。<わたし>を生かすためであれば、ご自分が落下することも厭わないのである。
されど、このお相手とて聖人ではなかった。
お皿にはグリンピースが残されて許せないこと思いださせる(グリンピースが残されて)
グリンピース、これは不妊治療にいい、とされている。お相手に、これを残した過去があるのか。その日の<わたし>の治療は辛いものがあったであろうに。それを判じ得ない人でもあるまいに。
協力できないことを協力させていたのか、ともなろうか。
にしたって、お相手も、寸時の一口でよかったのである。
そして
この一首
口紅のついたグラスを濯ぐときわたくしだけの流刑地がある(嘘をください)
「グラスを濯ぐ」を、過去を濯ぐ、と読んでみるのである。濯いでもまた濯いでもとりかえしのつかない過去を。
グリンピースを必要としない人生はなかったのか、と。
たとえば、
そうして然るべきとあらば、「口紅のついたグラスを濯ぐ」場面に身を置くことも自身に課すこと。
この歌集は原罪を問う。
過去を問う。現在を問う。
この歌人に、その潔さがある。
されど
それは受難の旅。
この世界は、「流刑地」になった。
鈴木美紀子は、自らを、遠い流刑地の途へ仮借なく追いたてる。
大人は皿を落とさない

たとえばファミレス。人に言えないかなしみは、ここにも埋もれていたのであった。
ファミリーレストラン。子のない夫婦も、この世は、ファミリーの範疇に入っているのか。
日曜のファミレスくり返されるメニューお皿の砕ける音が聴きたい(無呼吸症候群)
定型がずいぶんとがちゃがちゃである。<わたし>の心はかくもつぎはぎだらけになっている、ということか。
「ほらまた落として」わが子を叱る母の声が、<わたし>に妖しく美しい。
しかし、そんな声を出せるチャンスは、もう残っていないのである。そんな声を出せるチャンスが<わたし>に訪れる年齢ではなくなってしまったのである。
次の一首は、そのような痛ましさとして、わたしをしばらく俯かせる。
天性のものなんだろう劇中で誰にも似てない子を産む聖母(マリア)(祈りのような)
4句の「誰にも似てない」で、相手のいない懐妊がある不合理を問う。
処女だって子を産める。
とは、<わたし>は言わない。だが、ありていに言えば、そういうことになるんじゃないか。
旧姓で今でも届くDMは捨てないでおく雨に濡れても(無呼吸症候群)
男とは、いくつにになっても子をつくれる生物である。
まだ間に合う。お相手を<わたし>から解放させてあげなくては。
そんなところか。
受難の旅は終わらない

すまなさは、出会った時まで遡ってしまうようだ。
逃げようと思えば逃げられたはずオペラグラスの視野の外へと(祈りのような)
「逃げよう」における心情を、運命に逆らう、なんて読んでみるのであるが、どうだろうか。
<わたし>は、「オペラグラス」が必要な距離にいたのである。そこで話が終わっていれば、この人生はもっと楽だった。
何より、であるが、お相手に、子のある人生があった。
が、結局、<わたし>は、そうしなかった。
そうしなかったことは、人の人生に、かけがえのないあり方だろう。結ばれたい気持ちに従う以上に価値のある決断が、人生の、他のどこにあろう。
休日のコインランドリーで巡り逢う設定だけの薄いシナリオ(同)
お相手とは、いや、ここからははっきりと夫とは、このようなストーリーでよかったのかも知れないらしい。
でも、夫婦になった。なってしまった。
結婚は時に、もののはずみである。
だが、夫婦は、社会における強固な一組織なのである。
ファミレスではいざ知らず、公的な位相で、夫婦は、社会での信頼を担保する。
次の一首のかなしみはどうだろう。
できるならやり直したい差し出した保証人の欄のまぶしさ(無呼吸症候群)
これは、雇用契約書か何かか。
あるいは、入院が余儀なくされた、そこでの保証人欄とか。
勤めを始めるとなると、保証人の欄に、誰かの名前が要る。夫婦者は、通常、ここに配偶者の名前を埋める。
入院のケースもまた同じ。
「やり直したい」と2句目に置いておいて、結句に「まぶしさ」とした。
破綻か。
しかし、これは、衒われた奇ではない。
夫に価値を置けば置くほどに肥大してしまう負い目に貫かれた悲痛の一首である。
残したことをゆるしてたもれ

この指環はずしてミンチをこねるときわたしに出来ないことなんてない(無呼吸症候群)
だったら常に指環をはずせばよい。
旧姓に戻ればもっと楽な人生が待っていよう。
が、そんな話ではないのである。
夫が、<わたし>の行動原理になっている。それを自覚することすら拒否しておいでのフシがある。
にび色になるまでひたすら炒めましょうPromised Landはもうすぐそこだ(同)
Promised Land、神の定めた領域に身を置こう。そこには外周はあっても、内界を区切るものはない。
しかし
待て
境界のない世界が、今の<わたし>に、そんなに容易に見つかるか。
「にび色になるまでひたすら」とあるではないか。自己をコントロールする力はまだ失われたままなのである。
次の二首は、正視に耐えかねる。
水底の硝子にふれてしまうまでピアノの白鍵たたき続ける(私小説なら)
かなしみの烙印としてしゅんしゅんとスチームアイロン押し当てた胸(打ち明けるゆび)
自分を痛めてまた痛めて、普通の人々はこれを、惨劇と呼ぶ。
ゆるしてたもれ
グリンピースを
残したことを
ゆるしてたもれ
ゆるしてたもれ
海に小舟でひとりふるえる

理に落ちたクリシェで気がさすが、自分が変わるしかないのである。そのために旅に出たんじゃなかったのか。
が、歌集中、ぽんと置かれたかの次の一首に、おや、となる。
一条の光がさしている。
あまやかに女性名詞で海を呼ぶあなたのために砕く錠剤(私小説なら)
この落ち着きのある内省こそ<わたし>の変貌である。あるいは、再生の兆しである。
<わたし>は、この人の海だったのである、と読んでみるのはどうか。
されば、「錠剤」を、怠っていられないのである、と。
これまでがこれまでだった。
これまでの<わたし>は、海に小舟でひとりふるえていたのである。そこでは、目の前に夫がいても、宛として幻影であった。
次の一首は、性愛の歌なのか。
それは深読みなのか。そう読むのが自然なのか。
砂はただ波の愛撫にとらわれてあなたとわたしの境目もない(同)
そも境目などなかった。
「砂」は<わたし>/「波」は夫……?
いずれにしても……、
手を伸ばせば、この世界は、たしかな存在があった。「あまやかに女性名詞で海を呼」べる人がいる世界に、<わたし>は、この人生を生きてきたのではなかったか。
「冬物」と記した箱に仕舞うとき藁の匂いのきみの手のひら(風のバラード)
この匂いに支えられた人生だった。この匂いに支えられて、幾年も、新しい春を迎えてきたのである。
これを非とする理由はどこにもないのである。
半減期過ぎれば誰かが掘り起こす野原だろうか ひどくねむたい( 私小説なら)
メンタル系の薬と思われる。
半減期。錠剤の成分の血中濃度が半減するまでの時間である。
気の毒に。
錠剤の服用に死を感知する。感知してしまう。
絶望と拮抗したありさまが胸を衝きあげる。
だが、今は、「あなたのために砕く錠剤」である。
<わたし>はもう、小舟でひとりふるえていない。
足も手も少しも。
海は逃げない

車いす押して海辺を歩きたい記憶喪失のあなたを乗せて(海は逃げない)
わたくし式守は、ここにある、妖しくそれゆえに美しい詩的光景は、実現可能な光景との考えを持つ。
夫が記憶喪失の迫真の演技をしていることを、<わたし>は、知らないであろうが。
そして、それはまた、過去にグリンピースを残してしまった贖罪によるものかも知れない。
それもこれも、夫が、その人生に、<わたし>の生命を迎えられた感謝があればであろう。
かくして、この書肆侃侃房(新鋭短歌シリーズ)『風のアンダースタディ』は、恋愛のドラマとして、わたくし式守の人生に、平成屈指の傑作としてのこされた。
短歌と出逢ってよかった。