
1
良寛は、名主の子だった。
あれは出家と言うより家出である、との説は、説得力がある。
当時の家父長制の重圧を思えば、である。
『異形の良寛 渇きと訪れ』(花伝社)に、著者である武藤雅治さんは、「少年前期から少年後期にかけての未完の連続性、すなわち反抗から出奔への過程は良寛像の原型である」とのお考えを述べておられる。
家父長制の重圧などない時代でも、あるいは、そのような人生の条件を免れていても、男子が父を乗り越えることは、人生の一大事業なのではないか。
武藤雅治さんは、少年良寛を、このように見ておられる。
「栄蔵(良寛の幼名)の場合も、複雑な要因によって父親に反抗し、潜在化した抵抗意識がやがて沸点をむかえたのであろう。」
2
漢詩が引用されている。
(六〇歳前後の制作)
少年捨父走他国 少年父を捨てて他国に走り、
辛苦画虎猫不成 辛苦して虎を画くも猫に成らず。
有人若問箇中意 人有りて若(も)し箇中の意を問はば、
只是従来栄蔵生 只(ただ)是れ従来の栄蔵生なり。
3
そして、歌。
奥山の草木のむたに朽ちぬとも捨てしこの身をまたや朽たさむ(良寛)
奥山の草木と一緒にこのまま朽ち果ててしまおうとも、一度世俗を捨てたこの身を、これ以上どうして惨めに朽ち果てさせてよいものか。そんなことはしない。
と、まあそんな歌意になろうか。
良寛をよく知る者には夙に知られた歌なのであろうが、浅学にして、筆者は知らなかった。
この一首は、純文学一編を読むよりもはるかに筆者の人生を動かす力がある。
(もっとも歌歴も長くなれば、かつてであれば漫然と読んだであろう歌も、一読して何かしら察知もしようが)
が、この歌は、良寛に少しでも触れれば、単に、自然界に没入した隠遁の歌として読めなくなる。
自己否定と、そこから必死に自己救済を試みる葛藤がないか。
要するに、自罰の念ありき。
4
良寛は、自分は家を捨てた者である、と。父を捨てた、と。
「捨てしこの身」と。
実家の「橘屋」の跡継ぎという社会的地位や家族を自ら放り出した強い罪悪感と自己否定が、この表現に刻み込まれている。
すべてを捨てて出家した。その筈だった。されば、自分にはもう仏道の覚悟しか残された道はないのである。
ここで孤独と精神的な脆さに腐ってしまえば、世俗の自分は捨てて、出家者としての自分も台無しになる。それでは二重の破滅であろう。
そうは言えないか。
良寛の自分を責め苛む心の底辺に、さらに惨めな存在となる(二重の破滅)に落としてはならない、との声なき声が切なく響いている。
残された最後の尊厳を振り絞って自分を叱咤していたとすれば、良寛という人は、わたしの人生のとなりにいてほしい人だ。
絶望の淵での、それは、自己防衛であり意地。
だったのではないか……。
5
読み返す。
奥山の草木のむたに朽ちぬとも捨てしこの身をまたや朽たさむ
良寛の「自分なんてどうしようもない」的な自己否定(自罰)に囚われている状態であるが、これは、仏教的に見れば「執着」であり、かつ、その執着から抜け出せていないことにならないか。
「またや朽たさむ」と。
(いや、これ以上朽ちさせない)
「朽ちる」とは、肉体の衰えだけでないのである。自己否定という暗い情念に心が腐ってしまうことだ。
奥山の草木が自然に朽ちるように、自分の肉体や過去はそのまま自然に任せておけばいいではないか。
なのに、いつまで過去の罪悪感に拘泥する。心を二度も朽ちさせるのか。それこそ仏道に背こう。
という自罰のループを断ち切る決意の瞬間を切り取っている、そういう歌と読めないだろうか。
橘屋の跡継ぎ(「名主見習い」の立場だったが)としての良寛は、家業を全うできなかった。
父の期待を裏切って出家した。
家父長制の重圧から逃げ出した自分は、社会的に親不孝者であり、「捨てしこの身」である。しかし、家父長制が課したものの敗北者のレッテルに、そのまま魂まで埋もれさせるわけにはいかない。
良寛の、これもまた、父への抵抗だった。
6

考えれば考えるほど、出家とは言いも言ったりで、内実は家出だったのだ。
いつの時代のどの位相にもなくはない話であるが、家出を家出のままで終わらせず、独自の生を全うすることで、自分を抑圧したシステムに、良寛は、精神的な勝利を収めようとしていた。
筆者(わたくし式守)は、ここに、この歌に、人一人の「執念」を読む。
7
『異形の良寛 渇きと訪れ』の(4・「家出」考)に、さりげないが、時代を超えた血の公理を思える次の一文がある。
「この力関係(江戸期における父子の関係:筆者式守註)は、父が健在であるかぎり容易に解除することができない呪縛的パターナリズムである。それゆえ、家制度(家父長制度)のなかに囲い込まれた父子の関係に、いずれ危機がおとずれるのは至極当然の事態と言えよう。」
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次回の予告。
出家(家出)後の良寛における望郷の念について。やはり「異形の良寛」を基に考察してみたい。
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