良寛の遁走/無力哀訴の歌が/武藤正治「異形の良寛」を基に NEW!

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良寛は、名主の子であった。

良寛の生きた江戸時代の名主(庄屋)は、村の政治や税金の管理をおこなった農民の最高責任者である。村の指導者として高い教養や経済力があった。
東日本では「名主」、西日本では「庄屋」。なお、東北・北陸では「肝煎」と言われていた。

良寛は、幼名が栄蔵、元服後は文孝。長子である。文孝だった18歳で「名主見習い」になる。
家督を継ぐべくその教育を受けることになったわけだ。
が、わずか数ヶ月で突如、出家してしまったのである。

当時、名主は単なる村長ではない。
代官と領民の板挟み。現代の企業で言えば中間管理職になるか。

武藤雅治氏の『異形の良寛 渇きと訪れ』(花伝社)に、そのあたりのことが踏み込まれているが、名主の公務たるやたとえばこんなお役目があった。
年貢の厳しい取り立て、密通の裁き、罪人の処刑立ち合い。

血生臭く、また陰惨な公務の数々だったのである。

筆者は、司馬遼太郎と吉川英治の愛読者だった。
司馬遼太郎と吉川英治の良寛像をまずここに並べておきたい。

筆者は、武藤雅治氏の「異形の良寛」を読む前に、両氏によって良寛像を生成してしまっていた。

しかし……、
というのが、ここからの流れである。

司馬遼太郎は、家父長制における長男の家業継承という宿命を、個人の意志を圧殺する巨大な装置として捉えた。
そして、名主なんてものの器はない良寛のような者が長子として生まれてしまうと、それはもう生殺しだ、と。

司馬遼太郎は、権力構造からの亡命者として、良寛に、究極の精神的自由を認めておられた。

そうともまとめられよう出典をここに並べる煩は避ける

吉川英治は、良寛を、長子としての義務の敗北者ではなく、当時の不条理を超えた美しさである、との認識があったようだ。
自己否定を経て、子供と手まりをついて遊ぶ過程には、真の人間性の回復がある、と。

そうともまとめられよう出典をここに並べる煩は避ける

要するにこうか。
司馬遼太郎も吉川英治も、人間良寛を好意的に肯定していた。

家父長制に対する抵抗。この点を、ではよし、両巨頭の眺めたごとくとしてみる。
されど、それは無責任にならないのか。責任放棄だったということはないか。
先のような責務を負っていたことでの。

良寛の出家は、畢竟、職責放棄。あるいは、そう言ってよければ、不実である。
ということはないのか。

武藤雅治氏の「異形の良寛」は、筆者(わたくし式守操)の、その長年の宿題についに答え合わせをしてもらえた。

我さへも心にもなし小山田の山田の苗のしほるる見れば(良寛)

「異形の良寛」に引用されている歌である。

良寛の名前や背景を一切伏せて読んだとしても、萎れていく稲苗を前にした人間の胸が締め付けられる哀切さやあたかもモノクロームのような切なさが痛烈に伝わってくる。

しかし、この歌を、かつて名主(庄屋)になる人生だった筈の男が詠んだものと知れば、哀切どころではすまない。
作者、すなわち良寛の残酷な悲劇でしかないだろう。

「山田の苗がしほるる(枯れていく)」と。
単なる自然の悲しい風景ではない。村の飢饉、ひいては破滅を意味する。

名主は、飢えに苦しむ百姓の姿を目の当たりにしているのに、お上からは年貢を早く取り立てろと激しく責め立てられることを拒めない立場にあった。

「心にもなし」と。
自分の心であって、自分の心ではない。要は、どうしていいか分からない。
そんなところか。

この言葉には、自然の猛威による現実があるのに、冷酷な封建社会のシステムの前にあって、自分があまりにも無力であること、あたかも魂が抜け殻になってしまった茫然自失の心境が読み取れる。

良寛が、名がまだ文孝だった名主見習いの時代に、これに類する光景(あるいはその恐怖)は、一度ならず見たことがあったと思われる。

この歌には、民を救えない、そして、自分には民とお上の板挟みになる責任を負えない恐怖から逃走した原体験だったのではないか。

「異形の良寛」で、著者の武藤雅治さんは、文孝青年についてこう書いた。
「負の連鎖、負の積算ということが、いよいよ彼を崖っぷちにまで追い詰めていたのではなかったか。」
また、
「(父の以南が)早々と家督相続をしようと考え(中略)世間知らずの文孝にとって名主の実務は過重な負担となって、ついに適応障害を来したのではなかろうか。」
と。

武藤雅治氏の私見を、筆者(わたくし式守)は、全面的に肯う。
そして、屋上屋を架すようなれど、こうも思えるのである。

こんな条件下を生きれば、良寛でなくても、精神の安定を保てる方がどうかしていよう。

良寛の遁走/無力哀訴の歌が/武藤正治「異形の良寛」を基に

さて、若き良寛は無責任だったのか。
ありていに言えば、そうなろうか。
強靭な目的意識あっての出家とは思えない。イエスが、ヨハネを求めてジェリコを歩いたのとは気組みが違う。

されど、
将軍家や大名家でもあるまいに、家父長制とやらに殉じることの方が、魂のレベルで不誠実との考え方もあろう。

『異形の良寛 渇きと訪れ』の(3・遁走譚)における結びに、著者・武藤雅治氏の若者たちへの深い愛情の言葉がある。

筆者は、耐える価値のないことに耐えている多くの若い男女にこの言葉が届くことを切に、切に願っている。

次回は、良寛の出家は家出だったのかについて、正にそのタイトルで、やはり武藤雅治氏の『異形の良寛 渇きと訪れ』を基に考察してみる。