
目 次
現代の人類
森の人オランウータン もともとはあんなさはやかな歩行であつた(永井陽子)
河出書房新社
『モーツァルトの電話帳』
(まみむめも)より

永井陽子において、人間に、このような感悟があったようだ。
現代の人類はこうは歩いていない、ということか。
自分は人間でしかない

猿どもはまばゆき初夏の陽を浴(あ)みてゐるぞひねもす仕事などせず(さしすせそ)
やはらき肉やはらき骨を好む日々海賊の世紀も過ぎて(やゆよ)
人間の世界に生きていることにこりごりのため息が聞こえてくるようだ。
自分はどこまでも人間でしかない、と。
にはとりは昔はもつと小さかつたよそして気ままに空を飛んだよ(なにぬねの)
「にはとり」にまで同情してしまうのか。
鳥類の進化の過程として、学術的にはかなりでたらめであるが、わたしは、この一首が、ご自分が現代社会を生きる人間でしかないことにとどめをさしたように読める。
しかし
傷つきやすい人生は、豊かな感性に変換されることがあるものだ。
永井陽子の次の一首、これなんかどうだろう。
まだあをきぶだうの房へ手を伸ばすにんげんのげにをさなき姿(まみむめも)
一心のものをこめて「手」を見つめていたかの目は、永井陽子に、他に、どのようなものを見せていたのだろうか。
笑っていた

宇宙へと口のみ開けてたれさがりてんでだらしのないこひのぼり(あいうえお)
笑った。
「てんでだらしのない」のところで笑った。
言われてみれば、「てんでだらしのない」以外のなにものでもない。
待ち合はす南大門に雨降ればくるぶしが寒さうな仁王よ(まみむめも)
この一首は、あるいは、人間の心の奥深くを覗いているような短歌なのだろうか。
だとしても、わたしは、この一首も笑った。
だっておもしろくありませんか。
「くるぶしが寒さうな」って、あなた、「仁王」の、そんなところに目が行くんですか。
疲れていた

かたはらにひとありひとの息吹ありさりとて暗しこの夕月夜(かきくけこ)
きつぱりと人に伝へてかなしみは折半せよと風が吹くなり(同)
人といるのにかえって孤独を覚えておいでだ。
だからとも言えまいが、日々、常に、ぐったりと疲れておいでのごようすがある。
なにとなうわたくしはただねむたくてねむたくて聞く軒の雨だれ(なにぬねの)
ねむりたいわたしがねむりたい楡にもたれてをりぬ夕かたまけて(同)
付和雷同を身の護符として行動を決めるわたくし式守との非常なちがいがある。
永井陽子には、それが心情内のこととて、この世界をともに生きている人々との歴とした対立が随所に見られる。
結論は出ている

休日の人らそぞろに歩きゆくその先は無がひろごる都会(かきくけこ)
ゆつたりと空を泳げる銀の鯉見しかな都市はさながら無音(やゆよ)
永井陽子は、人間たちからこうも距離を置いた。
「都会」も「都市」も、他にも人がそこに生きていように、これではあたかも氷雪の谷間ではないか。
「都会」も「都市」も、そこは、人々の営みがある。営みがあれば、そこが氷雪の谷間であるとないとを問わず解くに解けない不思議が満ちているであろう。
その不思議とはたとえば何だ。
それは、同じ人間同士が、愛し合っているかと思えば、こんどは憎み合っているとか、まあそんなこんなのことなのであるが。
そこを解こうとするも、そこに距離を置くも、人の自由であるが、永井陽子は、早々と結論を出してしまったかなのである。
この世界は偽りか

「日誌」の中を自分の世界に

れんげさう咲き満つる星までをゆく特別列車運転日誌(らりるれろ)
この「日誌」はただの「日誌」ではないようだ。
もっとも「特別列車」にご乗車あそばされておいでの時点で、永井陽子が、よしや歌人だとしても、なまなかな存在ではないのであるが。
赤とんぼきらめき飛べるひとの世の外界(げかい)がほどの時間がありき(あいうえお)
この世界に、ご自分だけの「特別列車」をしつらえて、その「日誌」に、ご自分だけの言葉をのこせば、「ひとの世」への思慕のやり場をいくらかでも慰められた。
悪しき言語もつやつやと輝(て)る季節来てひひらぎ族がかへす陽光(同)
天猋(てんぴょう)や旋風(つむじ)を直截に詠んだ短歌ではないが、この世界はいかにも魔的で、自分の無垢との接点に、かろうじて身を置く術を見つけられたかである。
ああこれで
心は澄むだろう
とはいかない。
人生、そんなにあまいわけがない。
人は「日誌」の中で
生きてはいけない
少女の時代があった

無造作に鉄砲百合が立つてゐるほんにをさない思ひ出ながら(まみむめも)
輪をなせる記憶の底ひほそほそと雨に濡れゐるやぐるまさうは(わゐを)
永井陽子も、昔話は、美しい花である。
少女の時代は、この世界も、ご自分と調和することに和むことがあったのである。
そして
荷を解けばあかき南蛮人形がころがり出づる昼のたたみに(なにぬねの)
幼少のころに脳内に刻まれた音盤が、今も、時には鳴るのであった。
少女のままではいられなかった

さやさやさやさあやさやさやげにさやと竹林はひとりの少女を匿す(さしすせそ)
オノマトペの巧みなこの一首は、作者の名を伏せても、いかにも永井陽子の短歌であることがわかる。
そして、これを、たのしめる。
しかし
東洋的な深い瞑想の果ての、この「匿す」なる結句は、わたくし式守に、一言、痛ましい。
「匿す」以上は、「少女」は、まだ存在しているのである。
「竹林」の外に、「少女」を、永井陽子は、出せなかった。
長き首抱きたかりしを白鳥が去りたるのちの空のうすべに(なにぬねの)
永井陽子の上空の色は、「白鳥が去りたるのちの」そして「うすべに」でしかない。
もう少女ではない

永井陽子に電話帳はもう届かない

ゆふさりのひかりのやうな電話帳たづさへ来たりモーツァルトは(モーツァルトの)
なんて美しい「電話帳」だろう。
これを実話と断言できる詩的特権が、永井陽子に、永井陽子の短歌にある。
しかし、「モーツァルトの電話帳」が求められることがあっても、ただの「電話帳」は、もう誰も求めていない。
そもそも「電話帳」に広告を打つ企業が、現代に、どれだけある。電話帳が製作されなくなる時代がすぐそこに来ている。
次の一首も、これと似たことを思う。
ロビーにも射す月あかり立つたままダビデの像は目を閉ぢねむる(らりるれろ)
今や彫刻のような青年など求められないのである。
美形の男子は求められよう。
が、男子は、彫りの深い肉体の男性よりも、<草食系男子>なる男子がありがたがれる、そのような文化がこの国に出現した。
倦怠と隣り合わせの「ダビデ像」は、永井陽子ご本人にしてみれば、未来を先取りしたつもりもあるまいが、この国の時勢を、永井陽子は、既にして拒絶してでもおられたのか。
詩的なうそに慰められる

人は「日誌」の中で
生きてはいけない
ほんたうはすこしだけ人恋しいと言ふてみたきを秋の笹の葉(はひふへほ)
ゆゑありて冬のさなかに思ひ出す法師ほうしと鳴く蝉のこと(やゆよ)
いずれも、永井陽子が、軽くついたうそであろう。
「すこしだけ」なものか。
「ゆゑ」などあるものか。
うそ、と言っても、それはもちろん、短歌の中の詩的修辞としてであるが。
このうそに、そのささやきに、わたくし式守は、ひどく慰められる。
のこされた時間をおもう時に。
身内の病気をおもう時も。
からだがぐるぐるまわるような過去に、この身が、磔にされてしまう時も。
新作をもう読めないこと

現代に、ツイッターなるコミュニケーションツールがあることを、永井陽子は知らない。
生きていれば、何をつぶやいた。何をささやいた。
知りたい。
そして、わたしは、永井陽子の新作を読みたい。
たまたま詠んだ一首に言質をとられてはかなわないだろうが、永井陽子は、次のような一首を詠んでいるのである。
いつの日か告げたきはただ銀箔のやうなこころよゆふなみ小波(あいうえお)
しかし、永井陽子の新作をどれだけ読みたいか、その気持ちを、永井陽子は、絶対に知ることがない選択をした。
どれだけ追いつめられていたのだろう。
この世は、何人の永井陽子がいるのか。この先、何人の永井陽子を失ってしまうのか。
傲慢な発言であるくらいわかっている。
が、わたしは、わたしの非力が恨めしい。