
目 次
「われもまた」の「また」
われもまた群れたる鰯 夕暮れのハチ公前の交差点ゆく(森山良太)
ぶどうの木出版
『西天流離』
(AUTO REVERSE)より

<わたし>は一人でいられなかった。
ハチ公前とは、ここに恵みでもあるのか、若かった頃は、若者たちが救いを求めているポイントに見えなくもなかった。
現に、<わたし>も、ここを、蔭からのぞいて避けてはいないではないか。
が、「われもまた」と。
それを愧じた印象を持つ。
この一首に、わたくし式守は、大きな感動を得られた。
ある種の若者はこうなのである。わたしもまたそうだった、と。
一人でいるためにわざと人のたくさん見える方へ進み行く。そして、そこを離れる。
あたかも一人でいるために
眠れない雨の夜

降る雨の灯にけぶりつつ青く澄むひと夜をつひに眠らざりけり(熊野の旅)
「つひに」と。
東が白むまでに、何度も、時計を確かめたことを見通せる措辞である。
<わたし>はこのように夜を過ごしていた。
東京で、<わたし>は、このように孤独な夜を生きる若者だった。
この部屋を皮膜のやうに覆ふ雨しぶき降る夜をわが寝ねがたし(潮騒)
わたしも、若かった頃に、同じ体感を持ったことがある。
このような表現を為せる力はなかったが、このような感受は、やはりあったのである。
膜があるのである。
補足は不要であろうが、これは、「ひきこもり」ではない。
が、<わたし>は、なぜこうも雨に遭って、こうも眠れない。
昂っている、からではないかと
雨についてはこれをもっととむしろ呼んでもいるのでは
もっと激しき外を求めて

トタン屋根鳴らしつつ降るスコールに身を打たれむと外に出でにけり(スコール)
<わたし>は、雨のおかげで、夜の安寧を得られない。
なのに、その雨の中に、むしろ飛び込んだ。
改めてこの一首を引きたい。
われもまた群れたる鰯 夕暮れのハチ公前の交差点ゆく(AUTO REVERSE)
一人でいるためにわざと人のたくさん見える方へ進み行く
たいへんだからこそそこに身を置くことで、<わたし>は、苦境を突破しようとする。
迫り、去り、迫りとどろきくだけ散る潮騒のなかに眠りゆくなり(スコール)
眠れた。
厳粛な夜更けに

隣り家より通夜の読経の聞こえくる雨の夜更けにひとり覚めおり(AUTO REVERSE)
こんな言い方はアウトであろうが、ありていに言えば、「隣り家より通夜の読経」がうるさくてせっかく眠っていたのに目が覚めてしまった、といわけだ。
「隣り家」は、霊を慰めている。
「読経の聞こえくる」とのこと。木魚の音もあったろう。されば、木魚の音を、あたかも雨の音が完成に導いた音楽とも読めなくないか。
その音楽が、ここでは、<わたし>には、目が覚めるために働いた。
生きている

この結構は、わたくし式守を、大いに安堵させた。
たった一人のかつての夜に、今になって、安寧を覚えられた。
<わたし>にはまだ先があった。式守にもあった。
未来があった。
されど
まだ
降る前に懊火のごとく咲きにけり緋寒桜の花はかなしも(春の雪)
大東京

雨の夜は音なく更けぬ祐天寺商店街のうらの下宿に(チャルメラ)
<わたし>の暮らす、ここ「うらの下宿」は、いかにも狭くて暗そうだ。
ありていに言えば、いかにも安そうな「下宿」である。
そして、また雨。
小刻みにかたかた風に揺るる窓開ければとほく副都心見ゆ(同)
ここは東京であるが、だからと言って、都会の瀟洒な日々を送ってはいない。
そんな金もあるまい。
失礼千万とは思うが、この若者が、タワマンにでも住めるご身分であれば、ネオンににじむ雨の窓に囲まれて、男女でパーティーでも開いていようか。
<わたし>に、東京は、そのような東京ではなかった。
<わたし>に東京とは何。
何?
夜の空を白く照らしてビル灯る大東京よわれに何なる(み熊野)
自分がいかに小さいか知る。
それは後々きっと有益となる苦であるが、たった今は、こんな自問がせいぜいである。
このせいぜいこそが、「夜の空を白く照らしてビル灯る」よりも、長い人生には、はるかに眩しい時代なのであるが、それを眩しかったと回顧できるまでは、まだまだたくさんの時間が要る。
改めてこの一首を引きたい。
隣り家より通夜の読経の聞こえくる雨の夜更けにひとり覚めおり(AUTO REVERSE)
孤独のくさび

渚まで海をおほえる流氷は孤独のくさび打つごとく鳴る(孤独のくさび)
川は海へ
海は川へ
水の流れ
時間の流れが
そこにある
流氷は、しかし、衝突の音の鳴るのみ。
なに、この一首の景は、そのまま若い<わたし>の時間ではないか。
この結句の「鳴る」は痛ましい。
鷺

用水の清きにあそびゐたる鷺いづこ行きけむ見えずなりにき(遠く、来にけり)
ここでは、<わたし>に、雨はない。
ないどころか、ここは、「用水の清きにあそびゐたる鷺」をおりおり見ていたところのようだ。
「いづこ行きけむ」と。
いつしか「見えずなりにき」とあることで、ここでも、<わたし>の張りつめた神経が見えないではない。
そう、まこと「いづこ行きけむ」。
いづこ
ここでは深く踏み込まないが、<わたし>は、やがて東京を離れる。
離島の教師になる。
が、それはまた別の話。
鷺は<わたし>だった。
且つ、わたくし式守でもあったか。