
目 次
三井修は旅人だった

アンケートに記入し終えて職業欄<旅人>と記す夏の銀座で(三井修)
角川学芸出版『海図』
(地磁気)より
人並の常識があれば、羞恥心が枷となって、「職業欄」に「旅人」なんて記入できるもんじゃない。
まさか履歴書や確定申告書にも、職業「旅人」と記入しておいでなんだろうか。
そんなことはない。
アンケート、アンケート。
しゃれですね、しゃれ
そして、ここは「夏の銀座」。
いかに言葉がおもしろいかの発見

平文(ヘボン)氏著『和英語林集成』は動詞を<活(はたらき)きコトバ>と称す(素水)
AはBをCと称す。
この短歌のスタイルは、これだけだ。
AあってのおもしろいCを、「称す」とすることで、史実にとどまらないニュアンスが帯びる。
現代にはない言い方<活(はたらき)きコトバ>に、現代にはない言葉の力を発見できる。
<合成樹脂球充填術>なる怖ろしき施術があり父母の頃には(蜥蜴)
「父母の頃に」も、現代にはない言葉の力を発見する。
<合成樹脂球充填術>を目で読む時点で、既にして、何やら「怖ろし」い心情が生まれる。
そこにすかさず「怖ろしき」を措く。
と、<合成樹脂球充填術>は、いっそうの圧が。
目にするほどに怖ろしくなる
<官能基>この日出会いし言葉なり『基礎化学選集四』を読みいて(薄紙)
「官能」は、この字面によって、格調の高い熟語となっているが、でも、そこに、微量の性欲を読み取らないか。
おれだけやろか
しかし<官能基>だ。「基」がある。
「化学」の言葉なのである。
でも性欲のこともやっぱり
入社して覚えしことの一つにて綿糸基準番手デニール換算表(薄紙)
この世は、「綿糸基準番手デニール換算表」なんてものがあったのである。
それも仕事に必要なものであるらしい。
視界の外=この世の外

絵の隅を歩む女は一秒後消えているべし絵の外に出て(白犀)
おもしろい。
しかし、逆を言えば、「絵」の中で、「女」は永遠である。
この「一秒」は、芸術の使いによって、永遠のものになった。
花びらを喰い終りたる鵯はこの世の外へ消えてゆきたり(眼状紋羽)
いやいやいやいや。
<わたし>の世界から離れたとて、どこかでまだ生きていように。
しかし、この「鵯」は、<わたし>とは、ここで永遠に無縁となった。
この無縁となったことを、「この世の外へ」と表現できるところが、三井修の歌人たるゆえんか。
ビル陰に消えたる鳩が一瞬の後に思わぬ方(かた)より現る(ビル陰)
こんどは「鳩」です。
でも、「鳩」は、「この世の外」から戻ったのかも……。
職場のドア開ければ今日は知らぬ街など思いつつドアに近づく(夏蜜柑)
それを体験した人は口にしていないだけで、ほんとうは、「職場のドア開ければ今日は知らぬ街」を知る人はいるのかも知れない。
「この世の外」を知る人が……。
少なくとも旅人・三井修は、「この世の外」が絶対にない、とは思っていないのではないか。
この世の外は実在するか

この川を越ゆればきっと転生の……などなくてわが街に着きたり(ポリバケツ)
三井修は、「この世の外」を、まだ知らないらしい。
わたくし式守も知らない。ほとんどの人が知らない。
でも……?
三井修はほんとうは……?
この風が生(あ)れたるところ別の世がありて或いは髷の人行く(マフラー)
このあたりになると、三井修は、「この世の外」に出たことが、一回くらいはあるようにも見える。
その一回は、「髷の人行く」時代だった。
明治期の硝子なりせば窓越しの世界かすかに歪みていたり(腸詰屋)
「明治期の硝子」は、その品質が、現代よりもまだ劣っていた、それゆえの「歪み」に過ぎないのである。
そう考えるのが常識なのである。
しかし、「明治期の硝子」は、「この世の外」が実在することを証明する装置なのかも知れない。
三井修は知っているな、この世の外
すごいな、旅人って
三井修が旅人であること再び
わたくし式守は、角川学芸出版『海図』を愛読書の一冊に数える者であるが、あとがきがまたかっこいいのである。
(前略)
少年時代から未知の世界に対する憧れが強かった。大学で特殊な語学を専攻したのも、卒業後に商社に就職したのも、知らない世界へ行けるかもしれないという期待感からだったかも知れない。かつて男たちは海図を頼りに大海に乗り出した。
(後略)角川学芸出版『海図』
(あとがき)より
時間の往来=生死の差異

居眠りている間にドラマは進みゆきその恋人は既に死におり(渓流)
この類の短歌は、よそで見かけなくもない。
しかし、この一首は、その類にありつつもちょっとだけテイストが異質である。
「恋人」が「死に」至っていた、と。
「ドラマ」のこちら側と整合する真理が、この短歌に、見い出すことができないか。
塩振りて焼きたる鮎の身の反りよ川から上りし時の姿に(渓流)
釣り上げられた表現としての「川から上りし時」だろうか。
釣り上げられて、「鮎」に、「身の反り」があった。
「鮎」は、そこで、一回死んでいたのではないか。
で、少し持ち直したのである。
が、ついに完全に死に至った。
「身の反り」は死の具現か。
死の具現化に必須のアイテムが「塩」とか。
心臓の形の黄葉限りなく散りゆく秋の薄き時間を(薄き時間)
「限りなく散りゆく」その「黄葉」は、「心臓の形」である、と。
「心臓の形」が「限りなく散りゆく」となると、死という概念が視覚化されて、視覚化された死が数多いっせいに吹かれている光景にも覚えられる。
「秋」である、と。
なるほど「薄き時間」だ。
人間以外の生命の声が聞こえる

聞こえねど今し落ちたる山茶花の紅き一花の大音響よ(伝言板)
「山茶花」の魂が冥界ではためく。
わたくし式守は、この短歌を、そのように読む。
三井修は、人間としては、この魂の声は「聞こえ」ない
しかし、旅人としては、これが「聞こえ」るのである
そして、歌人として、これを、「大音響」と表現する
エアコンの風にこの身を委ねつつ生きるもよしとゴムの木の言う(鉱物図鑑)
ゴムの木の声も聞こえる
「ゴムの木」が、こんなことを考えるのである。
「ゴムの木」は、人間と変わらないらしい。
人生に珍しくない話である。
この帰結を、三井修は、大きく受け取る度量がおありらしい。
人への思慕がある
情がある
素朴な同情程度ではあるまい。
人生はどうしてこうもなるのか、解決のつかない心の乱れに、三井修は、一言、やさしさがある。
旅人だって疲れるのである

こんなにも心疲れて帰る道遠くで海が傾きている(バリコン)
角川学芸出版『海図』で、わたくし式守が、とりわけ愛している一首である。
ご自分を咎めてなどいまい。
ましてや聞えよがしのため息ではない。
時勢や世相によるご自分の変装でもあるまい。
ご年齢もあろうが、そのような短歌は、三井修の『海図』にはないのである。
この短歌で、三井修は、三井修の海を描いたのではないか。
そこは、誰もいない海。
そこは、「この世の外」かも知れない。
人生という旅における、その一単位の今日がまたゆくをいたむ波が、そこに存在していることを。
わたくし式守に、この海は、そのように見える。
この期に疲れた者に、都度、それがたとえ疲労であっても短歌にして、三井修は、旅の土産によこしてくれる。
三井修は、旅人として、その人生を送る魂が、その実体の輪郭に沿って燃えている。
職業を旅人とするのは、なにもお気軽な身上に恃んで、浮ついた人生を送っているからではない。