
目 次
夫婦ふたりでも

眠りいるきみのメガネを外したりきみにもきっと不安はあるらん(国分良子)
本阿弥書店『ぴいかんの空』
(鳥海山)より
「メガネを外」す、その手の皎潔なるが、まことに美しい一首だ。
そして、次の一首で、わたくし式守は、体内が、新しい血に洗われる感触を得た。
ストックの香る朝の冷えた部屋きみに家族は妻しかいない(不機嫌な馬)
<わたし>たち夫婦も、子がないらしい。
「ストック」によって、「家族」が、重心を失うことはないかのようだ。
耐寒性の高い「ストック」のふるえに、弱風なりとも、読者たる式守は、この身を新しく持てた。
夫婦ふたりでも、ほんとに、愛しあへたら、日本の土壤の、どんな狹い場所でも、生きるに樂しくないほどな寒冷ではない。
吉川英治『俗つれづれ草』
(貧しき者の友、愛情と四季)
より
眠りたるきみの手そっと握りたり義母の半生思う夜更けに(大衆割烹<東亜>)
寒冷の地

取り出して投函をするまでにもう宛名の<様>の木偏に雪が(木偏の雪)
下からも雪は降りくるスーパーに足りない醤油を買いに出たなら(不機嫌な馬)
寒冷の地に異動になったようだ。
「投函」や「足りない醤油を買」う程度の用事に、かじかむ手を合わせる以上に難儀なようすが、ありありと目に浮かぶ。
(わたくし式守は、妻が、雪国の、それは寒い土地の出である)
ジョーカーはきみの手中で微温くなり転勤なきまま春が過ぎゆく(ぴいかんの空)
どの土地を生きねばならないか、その向背は、夫次第である、と。
調子こそおとなしいが、この一首は、盤石をもってわたしの頭をそっと圧した。
ジョーカー

一生の秘密を胸に笑むような空が私をせつなくさせる(ぴいかんの空)
空は、明日へと今日を運ぶが、「一生の秘密を胸に笑むような空」との表現をなして、国分良子は、未来の影が見えないことを詠む。
その空が「ジョーカー」だとして、このジョーカーを引くも切るも、「きみ」にしかできない。<わたし>ではできないのである。
国道13号<走り続ければ横浜>をきみは左にハンドルを切る(同)
ニュースの終わりに映し出された横浜の夜景 あなたに返事ができない(同)
自分の手で、ジョーカーという手札を、切ることはできない。
されど、母ある「横浜の夜景」のカードがまわってきた<わたし>は、これを、たいせつに、たいせつに手に持つのである。
春遠き雪の谷間にあって、それは、<わたし>を、宿命から守る力がある。
横浜の母

秋田市の天気予報に詳しきは住んでいるわれより横浜の母(曇り空)
「天気予報」をめぐる母と娘の差に、目に、熱いものが溢れる。
この母の心のうちを推し測るに涙なきを得ないではないか。
一日に二度点滴を打つ母が来なくていいと言う距離におり(つららつららら)
横浜に秋田はそれだけ遠いのである。
母を慕い、母に呼びかける。されど、母は、娘を制止する。
纏綿たる母情に限りはない。母なる者の願いの着地するところは、畢竟、子の無事一つなのであろう。
母の願いと自分の祈りを一つに、この一首は、遠く離れて生きる親子に、一穂の灯を点す。
掌が厚くなったとわれの手をふいに取りたる母に言われる(口癖)
旧姓という宿命

旧姓は母にもあると思うなり婚姻届に捨印を押す(婚姻届)
ぴいかんの空がみたいよ旧姓をあなたはどうしてもたないのだろう(ぴいかんの空)
歌集のタイトル『ぴいかんの空』は、この一首から採られた。
「あなたは」とあるが、これは、自問自答ではないかと。
<わたし>は、<わたし>に、痛恨の色合いを帯びて問う。旧姓なるを。
「ぴいかんの空が」見えない、と詠まれている。
「ぴいかんの空」であれば、同じ宿命を持つ、しかし、それを生き抜く人々の群峰が見えようが、<わたし>は、ここにおいて、それはわれのみのごとく母を遠くに、そして、子はいない者にしてしまうのである。
では、子がいないことは、<わたし>の、これもまた宿命になるのか
きっとたのしい

マンションのベランダにはためく鯉のぼり男の子のいる家庭が五つ(同期入社)
おそらく、であるが、<わたし>は、「五つ」を、それはじっくりとカウントしたであろう。
このような要らざる力こぶを要する行為を、子のいない者が強いられること少なくないことを、いったいどれだけの人が知っていようか。
そして、どれだけこのようなカウントを繰り返しても、しかし、子を得られることはないかなしさを、いったいどれだけの人が知っていようか。
産休を明けて復帰を果たしたるショートカットの小気味好きこと(パートタイマー)
<わたし>がここでどんなに胸が痛んだか、察するに余りある。
言葉もない。
このように颯爽と職場に出現することなど、<わたし>には、夢のまた夢でしかない。
輸贏を争う余地がない。
子を生さぬ姫君幾たりおわしけん城址公園若葉風立つ(城址公園)
かつて、武家社会では、子をなさねば側室をすすめなければならないならわしがあった。
家系を維持しなければならない。藩を維持しないことには、多くの失業者が出る。多くの人間を路頭に迷わせるわけにいかない宿命を、「姫君」は、負わされていたのである。
家系の維持は、現代にもなくはない倫理であるが、<わたし>は、「姫君」との交感を持って、身の周辺を探った。
緑の風は、<わたし>の身辺を、颯々と払う。
飴っこ飴っこわらしっこ きみとふたりの人生だってきっとたのしい(同)
自己暗示か。
まあそれもあろう。
時に自己暗示の一つもしないことには、この人生が、呪わしくなることもあろうか。
されど、ここに、<わたし>がむしろ、夫の手を引いて難を突破せんとする心が詠まれている気がしないでもない。
夫婦において、<わたし>もまた、ジョーカーを、手に持っている
<わたし>の外周を、さびしい灰色の雲の去来が、なおしばらく覆う。
近くの夕寒の道を、子どもたちが、はしゃいで<わたし>を過ぎる。
されど、<わたし>は、この一首に、自己の未来を引っ提げて決断したものを、纏綿たる情理として、「きっとたのしい」と詠むのである。
「きっとたのしい」と。
本当は諦めてない

ふたりきりの人生だってかまわない沈黙ののちのきみは笑みたり(不機嫌な馬)
夫は、心のうちを、射抜かれてしまったか。
感情に渇いてしまう一歩前の「笑み」かと。
国分良子の『ぴいかんの空』は、このようなきわどさで肺腑を破る場面を、随所に見ることができる
妻への催促ばかり知るが如きの夫でないことに、痛ましくも好感が持てるが、それ以上に、お互いを温め合う真心ののあることがうかがえて、式守を、しばらくうつむかせる。
「子の名には<樹>という一字を使いたい」あなた本当は諦めてない(つららつららら)
<わたし>は、夫を責めているのか。恨んでいるのか。
違うと思う。
それはないと思う。
引いて入ったドア押して出る きみも子の有無を問われて帰る日のある(岩牡蠣のころ)
「引いて入ったドア押して出る」との表現がある。
朝夕と夫に意中の迷いがあることがうかがえる。迷いのあることが見えてしまう<わたし>なのである。
『ぴいかんの空』は、随所に、夫婦の慟哭の声がある
慟哭の声とはむしろ、このように静かに、豊富な感情量を胸の底に沈めて詠まれるものらしい
カレーとケチャップ

食事の献立一つにも、夫婦相は、春秋の移り変わりがある。
アメリカにあなたが発ってわれひとりならばカレーは辛口でいい(内示)
トマト嫌いの夫をもちてケチャップはないのがいつか当り前なり(時差)
「辛口」と「ケチャップ」に和楽ある心情が溢れている。
「辛口」であるか否か、「ケチャップ」があるかないか、これは、対立を育んだものではない。
それは絆
久々にあなたは隣にいるゆえにあなたのことを思わずにいる(ナッソー通り)
「思わずにい」られる、と。
ここには、子のいない夫婦の成功がないか。寒冷の地でも、お相手がアメリカに赴任にしていても、この夫婦に、確かな絆がないか。
寒冷の地の空
夫は遠くの空
たとえ見上げる空が、「ぴいかんの空」でなくても、この地は、夫と妻の絆があった。
クリーニングの前

どこからか小さな虫が入り込みきみといる意味考え始める(不機嫌な馬)
「虫」は、「小さな虫」と詠まれているが、このあたりになると、このご夫婦に、この「虫」が、いかにもむず痒そうに覚えられる。
望んでいた子は得られなかったが、<わたし>を不安にするための「虫」は、「きみといる」ところに「入り込」むのである。
<わたし>は、この人生を、呪ってはいまい。恨んでもいまい。
しかし、<わたし>は、ここで「考え」る女性なのである。
夫婦の花は、こんなところに咲くことを、わたくし式守は、経験で知っている。
そこには、大いに泣き笑いがある。泣き笑いがあれば、そこに、生きがいを獲得できないことはないのである。
駅からの坂を渡ってきた風に吹かれる<ポニークリーニング>前(縦書き)
「ポニークリーニング」は、ふたりだけの家族の衣替えに、いくたりと利用した店だろうか。
来店したのか、たまたまの通過点か。
いずれであっても、「駅からの坂を渡ってきた風」を、<わたし>は、敢然と身に受けている。
望んだ子は得られなかった。しかし、人生がいい方向に向くことを予言できないか。余人に及ばない心構えがこうもある女性であれば。
幾重にも空を塞ぐ雲がある。
しかし、国分良子は、雲間をつらぬく光芒を、常、探す。
本阿弥書店『ぴいかんの空』を、わたくし式守は、そのように読む。そして、読者たる式守は、都度、国分良子の生きる姿に救済されるのである。