
目 次
なんとも人間らしい一場面
怒りたる電話かけつつありしとき地震(なゐ)の過ぎしは吾知らざりき(小暮政次)
短歌新聞社
小暮政次『青條集』
「新しき丘」より

温厚な人でも稀にこんな姿を見せることはある。
言わねば胎ふくるる、というわけだ。
怒りのやり場を得た。轟々と勇ましい。
ただ、「地震(なゐ)の過ぎし」を「知らざ」るところが、<わたし>に、自制の欠如がうかがえてなんだかおかしい。
怒ってもしかし常識的な人

幾日か考へたりし葉書かくこれで私はまた憎まれる(同)
同歌集
「春天の樹」
(昭和三十一年)より
電話の時とは、すこし印象が異なる。
言ってやりたい言葉を肚にためていたが、ついにそれを吐き出すことにした、というところか。
「また憎まれる」と。
おおかた一方的に言いがかりをつけられたりしたのであろう。令和の現代のようにラインで一言申す、なんて手軽さはない。
「また憎まれる」が、それでけっこう、と。
ああ吾の知らぬこと多し或る者はこの人殺しを肯定してゐる(同)
(同)より
「吾の知らぬこと多し」と。
裏を返せば、自身の常識を破るだけの思案などない「肯定」なのだ。
しかし、尊重はしておいでのようで、
薄笑ひでは済まされぬ時となり吾が知ることのいよいよ狭し(同)
(昭和三十二年)より
自身の無知を認めること自体は珍しい話ではない。
が、小暮政次は、控えめに無口を守って、自他をよく観察するのである。
そして常識的以上に

利用されるだけのことにていらいらと上衣著て吾が人に会はむとす(同)
(昭和三十年)より
このお人好しぶりを愚と嗤うことだってできようか。
が、ここは、<わたし>をお人好しにさせるだけの、世間の信頼に注目するべきではないか。
衆目がそう見るようになったのだ、と。
今さらの迂を逆にこちらが嗤って、小暮政次は、これを捨て置いておられるではないか。
人の代りに就きたる職の三十六年を思うて感慨のあるにもあらず(同)
(昭和三十七年)より
昭和三十七年
もはやそれはあなたの職ではありませんか、とも言いたくなる。
面壁九年の四倍ではないか。
だるま太志はそれでも悟りを得たからまだいい。この人は、昭和に入ってからずっとこの職にその身を預けてこられたのである。
短歌とは長い時代が背景なのを一瞬にして人物を見せてしまえるものらしい
されど放埓へ崩れず

あたたかき風吹きいづる夕べにて堕ちるまで堕ちてしまひたくなる(同)
「花」
(昭和二十三年)より
昭和二十三年
春
本来は平和な筈の春の風が、この人に、いったい何を誘っているだろう。
それも夕べである。
小暮政次が放埓へ崩れることはついになかったが。
ひたすらに心細きに吾が食ひしくだものの皮わが前にあり(同)
(同)より
「くだものの皮わが前にあり」と。なるほど。
小暮政次は、このように身の推移を認めるお人らしい。
新しい段階への発足が「くだものの皮」とも思えば、くだものの残骸も、ここに、深い意義があろうか。
ほれ、次の一首は、それが妄言でないことをおしえる。
風の下によこたはりつつ月待てば桃の青葉のかがやきて出づ(同)
(昭和二十二年)より
再び
昭和二十三年
いかにして生き居らむかと思へどもこの夜はもののなべてかぐはし(同)
(昭和二十三年)より
歌集中、わたくし式守が、とりわけ愛している一首である。
どなたかをおもった。
そのどなたかを遠く安堵しているごようすである。
日々、ただ一人嘆いておいでのようで、それは、どうしてどうして行き詰まりでもないのである。
このあたりになると人間性の骨格が余人とあきらかに違う印象を持つようになる
冬を越すこと

仕合せの来るを待つならず冬のため赤きちひさき絨毯をしきて(同)
「春天の樹」
(昭和三十七年)より
「仕合せの来るを待つならず」と。ふむ。
「冬のため」とあらばしないわけにはいかない。
したくてしてるんじゃない、との態がまたまたなんだかおかしいのである。
もっとも
真冬の寒さが骨をかむ。
外界が冷えていればいるほどに内なる血は安らぎを求めるようだ。
蟻の食ひし軒をやうやく繕へば吾は家ごもる寒く坐りて(同)
(昭和四十二年)より
春は必ず来て、猫も妻も、居心地がよい

むしろわがうろたへしとき白猫が部屋ひとすぢに駆けぬけてゆく(同)
(昭和二十八年)より
白けたる顔付きに猫は帰り来て病み臥すわれに近寄ることなし(同)
(昭和三十一年)より
ご主人の「蟻の食ひし軒をやうやく繕」う寒さも知らないで、猫は、家を、われよりもわが王国にしている。
いまいましい、とはならないらしい。
ならないどころではない。
この仔を家族として好きにさせておいでなのだろう。
猫と<わたし>は、お互いにお互いを、まことよく観察しておいでである。
むしろわが
うろたたへしとき
白けたる顔付き
しかし
妻へは、猫への視線とちょっと違う。
春の日のくもりの空を仰ぎをり妻は吾に薪を割らす積りなり(同)
「花」
(昭和二十三年)より
尻に敷かれているようでもあるし、と言って、肚がまえまで支配下ではないようでもある。
夫婦相とは時代によってそう変わるものでもないらしい。
令和を生きるわれわれ夫婦も、ま、こんなかんじです。
新しい道のはじまり

わが前に幼き枝はくれなゐの深きつぼみを今しささぐる(同)
「春天の樹」
(昭和四十二年)より
これが最後と思える一歩前を、常に、次への悠久の道の境となす人生があるのである。
その人生に、「くれなゐの深きつぼみ」は、天の、それも精巧な褒美か。
わが前に
幼き枝に
「ささぐる」なる結句
なんという麗しさ
昭和四十二年
春
ささぐる