
目 次
いい歌人/いい歌集
博識な哲学よりかえって雑念が片付くことがある。
この書肆侃侃房(新鋭短歌シリーズ)『黄色いボート』には、都市生活を送る若い女性がいる。恋人がいた。時に孤独である。が、この女性には、自然豊かな故郷があった。
などと言えば、たしかにそれまでの世界なのである。
が、わたしは、この歌集で、人生の、そのさまざまな局面で、人はねばれることを学んだ。
いい歌集と出会えた。
原田彩加なる歌人に、生きるにおけるすばらしい資質を見て、わたしは、おおきなよろこびを得られた。
自己像

行列がなくなり水が腐っても撤去されない黄色いボート(黄色いボート)
まだ何も失ってない 真四角の窓から見えるアンテナに鳥(沈むお茶碗)
原田彩加は、歌集に、短歌を、次は、次はと読ませてしまう膂力がある。
街を潤ませる無数の電球にさみしい目玉まぎれているよ(さみしい目玉)
<わたし>には、もう「失って」しまったものがあるのだろう。
でなければ、<わたし>に照らして、「アンテナに鳥」を、室内で、このように詠んではみないのではないか。
一方、「街を潤ませる無数の電球にさみしい目玉」は、外に出ての話だろうか。
「さみしい目玉」をご自分の「目玉」と読んでみるのである。
ここは都会であるらしい。
都会において何もない<わたし>は、「さみしい目玉」で何を見た。
「アンテナに鳥」だけではあるまい。
何を?
人生のさまざまな局面

花束の花がだんだん朽ちてゆき最後に残る黄色い薔薇は(次の会社へ)
花嫁を見送ったあと目に映る芝生のうえの黄色い木の葉(沈むお茶碗)
凪いでいる海は柔らかい鏡 くちびるあかい舟が横切る(みなとみらい)
どれも人生の局面である。
順に、
前職の送別会で贈られた花束。
結婚式場の芝生の木の葉。
憂いを内に海へ。
そして
細部まで語る言葉を持たなくてときどき色を変えてみる爪(とおい心音)
人生のさまざまな局面に色をとりそろえる手腕がお見事である。
「君」の姿

いつだって言いたいことの半分も言えないけれど 大きいね、月(夜のファミレス)
スクランブル交差点から見つけ出す 互いの傘を高く掲げて(さみしい目玉)
丁寧に言葉つむいでいる様子なんとか修復しようと君は(ぬかるみとして)
出立の朝にあなたはベランダの皇帝ダリアをよろしくと言う(沈むお茶碗)
「君」との関係性にとくに奇異なものは見受けられない。
淡々と水のような交わりに描かれている。
ただ、「君」なる若者はところどころ、要らざるアクセントをつけてしまうらしい。
この「君」の人物造形を、わたしは、たいへんおもしろく読んだのであるが、だからか、わかれを予感させる歌に、わたしは、<わたし>と同じ痛みを感じたものである。
口数が少なくなってゆく秋のつめたい水に沈むお茶碗(沈むお茶碗)
離れゆく船をあなたの目の中にみとめたけれど怒りつづけた(同)
「君」はもう<わたし>への熱が冷めてしまった。
ありていに言えば、自分をもう好きではない。
それを、「水に沈むお茶碗」で動的に表現していることが痛ましかった。
ご自分を「離れゆく船」と表現していることもまた。
押しとどめようとしている海の泡あなたのように弱い力で(木蓮)
「海」も「あなた」も、もう「押しとどめようと」もしてくれない。
凛々しいOL

ビジネスは過酷である、なんて話ではない。
日常の一般事務でも職場が厳しくない筈がないのである。
利害関係が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。これが難儀なのである。
蜘蛛の巣のサイズによって、厳しさの指数は、上下するわけだ。
されど、原田彩加はそこに、ほんのすこしの自己憐憫も味付けしない。
そうですねおそれいります意味のない言葉の先でねじれるコード(触れないでください)
誰も何も言わずに夏が近づいて臨月となるひとの荷造り(同)
イニシャルを間違えられていることも洗礼として名札をつける(ペーパーナイフ)
重要かそうでないかを見極める鳥のかたちのペーパーナイフ(同)
どれもこれも、働いていれば日常的に体験していることで、それをいちいち記憶にとどめることはない。
だが、そのどれも、実は、重い価値があった。
選び抜いた素材を、ちょっとした動詞一つで、原田彩加は、地味な仕事に光鋩を曳く。
自由のために

王国を夢想しながら噛みしめた葡萄の種が苦かったこと(ペーパーナイフ)
円卓の真ん中にあるクラッカー 自由のためにいま鳴らそうか(同)
もとより「葡萄の種」で「王国」は出現しない。
職場はファンタジーではないのである。職場は徹底したリアリズムだ。
人のいるところどこも修羅である、
とまでは言わないが、たとえば、幹部列座の前で、序列が下の者がその容儀を崩せるものではない。
<わたし>は、「自由のため」のアイテムとして、「クラッカー」を発見した。
原田彩加がそこに敏であるところの、さぞ色彩豊かな世界が出現する空想は、このわたしも、ともにわくわく空想したものである。
何もダイナミックなビジネスばかりが仕事ではない。
一般の、ありていに言えば地味でしかない事務に、慎ましくも凛々しい価値を、原田彩加は、都度更新している。
土でつくられる

しかし、原田彩加に、都会は、水が合わないらしい。
この匂い覚えているよ雨上がり喜んでいたちいさな身体(眠る間に)
うずくまり日が昇るのを待ちおればいつかのように土が親しい(今日の食卓)
雨はいつ降ったのだろうしっとりとしている土に残す足跡(同)
原田彩加の生活細胞は、どうも土によってつくられるようなのだ。
雨が浸みた土によって育てられた木で細胞は活性化するのである。
「覚えている」のが「ちいさな身体」であれば、ああ、ここは故郷である。
幽霊でございます、と起きてくる祖母のジョークを諫めておりぬ(眠る間に)
おばあちゃんのうしろをついてゆく猫の踏むあぜ道の苔のふかふか(同)
庭中の花の名前を知っている祖母のつまさきから花が咲く(同)
また来るね、手を握ったら「離れなくなっちゃった」って祖母は笑った(同)
「おばあちゃん」の存在により、原田彩加は、生まれながらにして、温もりのあるユーモアの薫染を享けて長じた。
折々、過去一齣を胸に回想して、無聊の夜を慰めているのであろう。
それが、都会のアンチテーゼに過ぎないものだとしても、わたしはここに、人に、健全なこころがあることを思う。
再起

好きだったひとを忘れて新緑の世界ようやく胸に迫りぬ(木蓮)
この一首の「ようやく」であるが、わたくし式守は、これまでの人生で、こんなに眩しく「ようやく」を読んだことがない。
「新緑」一語で、この世界は、また新しい世界になったことを教えられるのである。
再起はすこしばかり時間がかかったようだ。
それでいい、と思う。それでいい。
バナナの木倒れたあとの草原に秋の日差しが一面に降る(眠る間に)
<わたし>に、あるいは、原田彩加に、こんな景色がこころにある。
「秋の日差し」の美しさよ。
こころに広大なパノラマを設けて、そこに、この「草原」を映して、折々、一望しているに違いない。
この書肆侃侃房(新鋭短歌シリーズ)『黄色いボート』を、わたしは、もう何度も読み返しているが、原田彩加は、この「秋の日差し」をいっぱに抱き入れている姿が、実によく似合う。