
目 次
歌人がこれまで歩んできた道
この国の自然主義文学に、わたしは、いつからか否定的になった。
若い時分はよく読んだのである。が、日々の仕事に追われる過程で、わたしに、その魅力は失せた。
無数の人影がゆらゆらとわたしの人生を染める。それは、象牙の塔の住人よりもずっとわたしにたしかな人生である、と。
短歌の世界に身を置くようになって、歌人と作中主格のオーバーラップが、わたしに切々と何かを訴えるようになった。
わたしは、六法出版社の、この歌集『灯台の灯』に、歌人・安藤あきよの、これまで歩んできた道をはっきりと見せてもらえた。
毎日を、なぜもっとていねいに、この安藤あきよのように楽しまなかったのか、来し方を、わたしは、ひどく悔いた。
どんな仕事もたいへんである

人事・予算・学生指導こぼるるほど議題を持ちて司会席に坐す(白さぎ)
<わたし>が短期大学の教授と思しき歌がいくつかある。
教授たるお立場とは好きな研究だけしていればいいものではないようだ。
とりわけ次の一首は、仕事とは、それがいかなる仕事であっても、人間関係の受難が避けられないことを痛みと伴に伝える。
胸ふかく刺したる人が吾れ避けて今朝は向こうの渡り廊下ゆく(人事)
わざわざ「向こうの渡り廊下ゆく」のは、<わたし>へのうしろめたさか。
人と人との睨み合いに割り切りなどものの役にも立たないことがこれでよくわかる。
語気強く権利言いつのりし若者が時経て素直に印受けに来る(カリキュラム)
こんな黄口児まともにとりあうことなどないではないか。
とはいかない。
が、それは、仕事だからでもないようだ。
<わたし>はまこと誠実に、「若者」の相手になる
包容力とは

漏らされぬ人事を秘めて年明けぬさぐりを入れに来る若きらが(人事)
ご本人に自覚がおありかなのかどうか、「若きら」は、他にも人はいように<わたし>に寄ってくる。
わたくし式守がここの関係者であれば、やはりかのじょと誼を通じることを願ったに違いない。
そうとも思える歌が、歌集に、いくつも並んでいるのである。
激昂する若きらの声隣室に吾れは病みいる少女に電話す(組合)
安藤あきよなる歌人は、このようなお人であった。市塵の流れに身を任せていても自身のなすべきことをとりこぼさない。
職場には敵あることも知りゆく日いたわりの言若きより受く(視線)
「若き」に庇護されることがある、と言いたいのではないだろう。
「若き」が少し成長したことを誇らしく思ったのではないか。
つくづく人格がお高い。
そして、「いたわ」られるのである。
慕われること

欠席の多き理由に離婚せし母のこと一言少女洩らしぬ(ゼミ)
一家庭の出来事と済ませることもできたであろう。
しかし、まだ二十歳そこそこの若者では、ここを逃避することは容易でも、ここで無難に漂白することはまだできないのである。
これは、強要して知り得た「理由」ではあるまい。
<わたし>は、頼られた。
<わたし>は、たとえば当たり障りのないコメントでお茶を濁すような人ではないのではないか。
胸衝かれ読みくだしゆく先生の一言支えに生きてゆくとあり(ゼミ)
口数の少なき少女が楽しかりしゼミと色紙に書き記しいつ(同)
教職にあるよろこびがあふれている。
慕われることなぜこうも重きを置かれる存在になれたのであろう
それは人への寸時の手当て

刺繡帽かぶりて踊るイ族の少女カメラ向けしとき眼を伏せぬ(中国旅行)
ここでの「イ族の少女」は、ちょっと照れただけかも知れない。
だが、外国の観光客の晒し者であることが屈辱だったかも知れない。「目を伏せ」ることが効果的なことを知ってのアクションかも知れない。
こんな邪推をしても詮無い話であるが、<わたし>はただそこで、痛みを持った。
相手が年長であろうとなかろうと、人に、人への思慕が生まれるのは、このように痛みが生まれるか否か。
寸時の手当てでいい話なのである。
明朗に生きる

若きらの去りて顕微鏡視る作業いく刻を経む陽のかげりきぬ(結晶)
「若きら」の未熟をカバーしての「作業」であろう。
長く働いていれば珍しくもない話である。
<わたし>はここで、「若きら」のプライドを損なうことは避けたに違いない。<わたし>のこれまでをおもえば。
議長たる吾が失言に爆笑の湧きて年度始めの会議を閉じる(信任票)
<わたし>は静かな理性がある人であるが、それだけでは人の思慕は集まらない。
明朗なのびやかさが不可欠だ。
こんな一首のような。
髪セットして記念写真に臨みしと言えばはじけ笑うゼミの少女ら(卒業)
母と娘

端渓の硯で母の戒名が書かれゆく母へ買いきし硯(母逝く)
ハンドバッグに洗い忘れしハンカチよ母みまかりし日使いたるまま(ハンカチ)
父斃れし江南の地よ青々と田畠拡がる地平線まで(中国旅行)
父の血の浸みる大地に触れたきにいずくか知れず大場鎮と言うは(同)
この歌人は、いつしか孤独を生きる境涯となった。
言葉もない。
ただ、ここでの次の一首は、<わたし>を揺さぶっての一首であろうが、わたくし式守をも大きく揺さぶる一首である。
レポートに「親子の愛」を選びたる少女か稚なさ未だとどめて(教育実習)
テーマに「相対性理論」を選ぶよりも驚くのはなぜだろう。
ありていに言えば、親との間に何かあるのか、となるからであろうが。
「親子の愛」は身近なテーマであるが、「相対性理論」より重いのである。
誰もが人の子である。
親への涙は、人によってはよしそこに暗雲のたちこめたものがあっても、自分に照らして胸を衝く。
病を生きる

この女性(安藤あきよ)もまた、病という束縛を避けられない人生を送っていた。
おのが身をひとり憂うる寂しさに医院の待合室に順を待ちいつ(心電図)
「順を待」っているとは、他にも人(患者)はいたわけだ。
だが、「おのが身をひとり憂うる」境遇にある。
<わたし>は、学生に愛されている。あるいは、「少女」に愛されている。
また、
いまいましい職場に、人と人が助け合う情義も生み出している人でもある。
それが、孤独を生きて、孤独の境涯に病も得てしまうのである。
あんまりじゃないか
しかし
少女らの書きくれし言葉の大方は身体いとえといたわりくるる(ゼミ)
天意は公平なのか。
<わたし>の人生の、孤独、病、すなわち人生を束縛するものがあってなおなぜかくものびやかな生命なのか、わたしは、この驚嘆を抑えることができない。
どうしてもできない。
贈られしバラの花群枕辺に卒えゆきし少女らのみ思い眠らん(卒業)
かくして、六法出版社『灯台の灯』は、残された人生は、要は、生き方次第であること、それも寸時のやさしさがあればそれでいいことを、わたくし式守に十全に説いて、何度でも(まこと何度でも)読み返すことになった。