
1
「してないかね、 けんかは?」息を吐ききって父は訊ねた五分の会いで(柳原恵津子)
左右社
『水張田の季節』
(冬樹の枝)より
2
父に娘が受けた感情は、とうてい言葉に尽し難い。
夫婦げんかをしてないか、との娘への問いと思われる。
別の記事で引いたが、<わたし>に娘がある。が、娘と親子げんかをしていないか、との問いではあるまい。
直截に娘夫婦のけんかであると詠まれているものも、娘と孫娘の親子の話であると詠まれているものも、前後にないが。
3
「息を吐ききって」との句があるが、これは、「父」が、ご病気だからと思われる。
それぞれの臓腑に白く降る雪よわれには淡く父には深く(柳原恵津子)
そして、ここは、病院(の、入院病棟)と思われる。
生きたくて病院へ向かう人の列 旅行カバンを持つ者もいる(柳原恵津子)
いずれも
同歌集『水張田の季節』の
同章(冬樹の枝)より
4
帰宅して、娘は、父を思い出すのである。
上の空だったな にぎり合った手を思う赤身をミンチしながら(柳原恵津子)
同歌集『水張田の季節』の
同章(冬樹の枝)より
これは、類推される措辞あってではないが、<わたし>は、思案の余った折々は父をこうして思い出してきたのではないか。
5
「息を吐ききって」と「上の空だったな」との、この二首は、わたしの肺腑を破った。
父と娘とは、ひとつ血だった。「父」の血が、<わたし>の傷みに響いている。
6
唐突であるが、わたくし式守は、マザコンという言葉で女性に嫌悪される男性がいると、否定されるに足る言動があっても、擁護できる点はそこにないか探すことがある。
十代で母を亡くしたわたくしは、先日、ついに還暦を迎えたがなお、日に一度は、母を思い出すのである。
母をむざむざ死なせた気にもなって無力を覚えることが今もまだある。
7
「息を吐ききっ」た母の声を聞くことがない。
「上の空だったな」と帰宅して思い出す母がない。
8
また、こんな思いもここに重なる。
夫婦げんかをしてないかを問いかける娘が子がいないこと。自宅でわたくしを思い出す娘が子がいないこと。
9
この一首を、ここで、改めて読み返したい。
これで最後だ。
「してないかね、 けんかは?」息を吐ききって父は訊ねた五分の会いで(柳原恵津子)
貴重な(まことに貴重な)たった「五分の会い」で、娘が夫婦仲良く暮らしているかを、<わたし>は、問いかけられた。
たかだかそれは五分だったかも知れない。が、父と娘の気持ちの底を、いっそう固くつなぐになんと役に立つ時間であることか。
骨肉の血は互いに呼び合うのである。その心に、涙なきを得ない。
そして、わたくし式守は、この父と娘の五分の物語りを、素晴らしい感銘で幾度も読み返すのである。
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左右社『水張田の季節』は、こんな一首もある。
父はわが足裏(あうら)を楊枝で突いたとかミルク飲みつつすぐ眠るゆえ(柳原恵津子)
(音のない火事)より
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柳原恵津子さんは、日本語史の研究をなさっておられます。「柳原恵津子・論文リスト」は、その論文を、全てではありませんが、一部は、PDFで読むことができます。このような地道な研究があって、歴史の実態が史料で解明されることの不明を愧じました。
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